大判例

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新潟地方裁判所 昭和52年(ワ)305号 判決

原告

甲野花子

被告(1)

日本チバガイギー株式会社

右代表者代表取締役

ポール・ドゥドラー

右訴訟代理人弁護士

笠利進

高池勝彦

宮武敏夫

藤田泰弘

直江孝久

渋川孝夫

広川浩二

土屋泰

加藤豊三

玉利誠一

被告(2)

武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

武田國男

右訴訟代理人弁護士

日野国雄

品川澄雄

岡本拓

本間崇

早崎卓三

川本権祐

中島和雄

中筋一朗

被告(3)

右代表者法務大臣

中井洽

右訴訟代理人弁護士

田之上虎雄

伊藤喬紳

右指定代理人

久保田浩史

外一二名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金二九〇〇万円及びこれに対する平成五年一〇月一五日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告らの、その余を原告の、各負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一章  請求の趣旨

一  被告らは、各自原告に対し、金四四〇〇万円及び昭和四六年一月一日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

第二章  請求の趣旨に対する答弁

第一  被告国

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  仮執行免脱の宣言

第二  被告武田薬品工業株式会社

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三  被告日本チバガイギー株式会社

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  仮執行免脱の宣言

第三章  請求原因

第一  当事者

一  原告

原告(昭和一二年五月二〇日生)はスモン患者である。

二  被告武田薬品工業株式会社、同日本チバガイギー株式会社

被告武田薬品工業株式会社(以下「被告武田」という。)、同日本チバガイギー株式会社(以下「被告チバ」という。なお、被告武田、同チバを併せて「被告会社ら」ということがある。)はいずれも医薬品の製造、輸入及び販売(以下「製造等」ということがある。)を業とし、昭和二八年以降キノホルムを有効成分として含む医薬品(以下「キノホルム剤」という。)の製造等を継続し、その間、左の一覧表(以下「キノホルム剤一覧表」という。)記載のとおりのキノホルム剤の製造等をしたものである。

1 エンテロ・ヴィオフォルム錠「チバ」

製造 チバ

販売 武田

製造許可 昭35.10.3

2 エンテロ・ヴィオフォルム散「チバ」

製造 チバ

販売 武田

製造許可 昭35.10.3

3 エンテロ・ヴィオフォルム・シロップ

輸入・製造 チバ

販売 武田

輸入承認 昭40.11.25

4 メキサホルム散「チバ」

輸入・製造 チバ

販売 武田

輸入承認 昭37.5.12

5 強力メキサホルム散「チバ」

製造 チバ

販売 武田

製造許可 昭37.11.26

6 強力メキサホルムA散「チバ」

輸入・製造 チバ

販売 武田

輸入承認 昭38.6.8

7 強力メキサホルム錠「チバ」

輸入・製造 チバ

販売 武田

輸入承認 昭39.6.11

三  被告国

被告国は、公衆衛生の向上及び増進を図るため、厚生大臣をして薬事行政を担当せしめ、医薬品の製造又は輸入について許可又は承認(以下「製造承認等」ということがある。)をさせているものであるところ、厚生大臣は右のキノホルム剤一覧表記載のとおり被告会社らが製造又は輸入したキノホルム剤につき製造承認等をなした。

第二  因果関係

一  キノホルム剤服用による原告のスモン発病

原告は、昭和四四年九月二三日から昭和四五年一月まで胃潰瘍、過敏大腸症候群との診断により新潟県新津市内の権平医院で治療中の昭和四四年一二月一七日から約一か月にわたって強力メキサホルムを服用したところ、昭和四五年四月一〇日、急に足が動かなくなり、下肢のしびれがひどく、腰のところの感覚もにぶくなるなど、スモンの症状が発現し、スモンに罹患した。

二  スモンとキノホルムの因果関係

キノホルム剤の服用とスモン発病との間に因果関係が存在することは、次に指摘するスモンとキノホルムとの関係に関する疫学的事実、それを裏付ける医学、薬学上の知見、動物実験などにより明らかである。

1 スモン患者はスモン発病前にキノホルム剤を服用していること

スモン調査研究協議会(以下「スモン協」ということがある。)がスモン患者のキノホルム剤服用状況を調査したところ、第一回目の調査でスモン患者の神経症状発現前六か月間のキノホルム剤服用率は84.7パーセント、第二回目の調査では83.4パーセントであった。また、個々の研究者の疫学的な調査によればスモン患者のキノホルム剤服用率は極めて高率(約九〇ないし一〇〇パーセント)であった。

2 キノホルム剤とスモンの密接な関係

わが国におけるキノホルム剤の製造、輸入量とスモン患者の発生数との間には並行関係がある。すなわち、わが国においてスモンは昭和三〇年ころから発生し、昭和三六年ころから各地に増加したが、このスモン患者発生数とキノホルム剤生産量とはほぼ並行関係にある。また、スモン患者のキノホルム剤の服用量とスモン発症及び重症度との間には有意な相関関係が認められる。更に、厚生省が昭和四五年九月八日、キノホルム剤の販売中止措置をとったところ、その後スモン患者の発生は終息した。

3 動物実験の結果

イヌ、ネコなどの動物において、キノホルム剤投与実験を行った結果、後肢麻痺、運動失調などのスモン様の神経症状が発生することが確認された。

第三  責任

一  被告らの無過失責任

合成医薬品は、生命、身体に対する危険を内在させているものであって、これが大量に生産され、販売されれば、右危険は一層増大する。また、製薬会社は、医薬品に関し、その安全性を確保するための調査、実験の知識、情報、手段等を独占的に保有しているのに対し、医薬品の服用者である原告などの消費者には、このような調査を行う能力もないし術もない。本件は、製薬会社が右の点を顧みることなく、利潤の追求を至上目的として、安全性の審査を無視して医薬品の大量生産、大量販売を行った結果発生した薬害事件であり、右生産・販売体制の構造自体に重大な瑕疵があったと言わざるを得ないというべきであるから、被告会社らは、過失の立証がない場合にも本件スモンによる損害賠償義務を免れない。

被告国も、製薬会社を保護育成し、あるいは、これに癒着して安全性の確保をないがしろにしてきたものであるから、被告会社らと同様に過失の立証がない場合にも本件スモンによる損害賠償義務を免れない。

二  被告会社らの過失責任

1 注意義務

被告会社らは、医薬品の有する危険性や業務の性質に照らし、医薬品の製造、輸入、販売を開始するにあたり、当該医薬品によって人の生命健康に不測の危害を与えることがないよう、当該医薬品及びその類似化合物について世界最高の医学、薬学及びその他関係諸科学の学問水準に達した文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験及び臨床試験を行い、また、臨床使用の経験のある医薬品についても右調査・研究を続行するとともに、臨床使用の追跡調査を行うことにより、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・分布・代謝・排泄の程度、毒性の内容・程度等を研究調査し、もってその安全性を確認する義務がある。そして、右の調査・研究の結果、当該医薬品により人体に無視し得ない危害が生じるおそれが予見された場合には、被告会社らは、当該医薬品の製造等の中止を含む万全の危険回避措置をとらなければならない。

2 予見可能性

被告会社らは、キノホルム剤の製造等を開始した時点において、キノホルムが人体にとって無視し得ない危害を生じさせるかも知れない危惧感はもとより、神経障害を含む重篤な障害を発生させる具体的危険性があることを予見することが可能であった。

(一) キノホルムは、一九世紀末に初めて合成された合成化学物質で人体になじみがなく、これを人体に用いた場合には何が起こるかわからない危険性があったし、また、当初外用消毒殺菌剤として開発されたものを何らの安全性のチェックなしに内用に至った経過があり、人体のいかなる部位にいかなる危害を及ぼすかも知れぬ危険性があった。

(二) キノホルムがかなりの範囲で吸収されることが判明しており、これにサパミン、カルボキシメチルセルロース等、キノホルムの吸収を増大させる添加剤が加えられた結果、神経をはじめ体内の各部位に吸収されたキノホルムにより人体に障害を発生させる危険性があった。

(三) キノホルムは劇薬性を有し、激しい作用により人体にいかなる重大な副作用をもたらすかわからない危険性があった。すなわち、そもそもキノホルムは、外国では劇薬に指定されており、わが国においてもかつて劇薬に指定された経過があったが、合理的な理由もなく劇薬としての指定が解除された。

(四) キノホルムや類縁化合物に神経毒性があることは古くからの諸文献により明らかであった。例えば、一般的危険性についてはデイヴィッドの警告(昭和二〇年、アメリカ医師会雑誌「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」)、神経障害についてはホーグの報告(昭和九年、「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」)、多くの動物実験における報告、スモン様症状が発生したとするグラヴィッツの報告(昭和一〇年、ラ・セマーナ・メディカ誌「アメーバ症の治療における新しい方向」)及びバロスの報告(昭和一〇年、ラ・セマーナ・メディカ誌「増えゆくアメーバ」)等があった。

3 被告会社らの注意義務懈怠

以上の事実を前提とすれば、被告会社らは、キノホルム剤の製造等を開始した頃までに、キノホルム剤によって人体に無視し得ない危害が生ずるかも知れないという危惧感を持ち得ただけでなく、実際にキノホルム剤によって人体に神経症状を含む重篤な副作用が生ずるかも知れないことを十分に予見し得た。したがって、被告会社らは、キノホルム剤の製造等を開始した時点で、キノホルム剤によって人体に神経症状を含む重篤な副作用が生ずることを予見し、これを回避するためにキノホルム剤の製造等を中止するなどの措置をとることが可能であったにもかかわらず、安全確認のための十分な調査・研究もせず、キノホルム剤の製造等を開始した過失がある。

また、被告会社らが、キノホルム剤の製造等を開始した後も、以下に指摘するとおり、キノホルムによる神経障害その他の害作用の報告が年々集積しており、前記の予見は更に容易になっていたにもかかわらず、キノホルム剤の製造等を継続した被告会社らには過失がある。

すなわち、

(一) 被告会社らのキノホルム剤の製造等の開始から昭和三五年までの間にはキノホルムによる胃腸障害・肝障害が発生するとの報告が続き、神経障害が発生したとするホッブスらの報告(昭和三四年、ランセット誌「クロロキン療法に伴う網膜症について」)及び水間らの報告(昭和三五年、「アクロデルマチチス・エンテロパチカの知見補遺」)等があり、アメリカ合衆国FDA(食品医薬品庁)は昭和三五年、アメリカ・チバ社に対し「ヨードクロールヒドロキシキンの使用はアメーバ症のような重症疾患の治療に限定するべきである。」との勧告を出し、昭和三六年八月二二日アメリカ・チバ社は右勧告を受け入れた。

(二) 昭和三六年から昭和四〇年までの間には、実験動物に神経症状が発現したとの報告が続き、キノホルムによりヒトに歩行障害が発現したとのゴルツの報告(昭和三九年、アメリカ熱帯医学衛生学実施雑誌「ヨードクロールハイドロキシキンによるアメーバ症及び細菌性赤痢の予防並びに治療」)があった。

(三) 昭和四一年以降もキノホルム及び類似化合物についての副作用情報が年々集積していた。

三  被告国の過失責任

1 被告国の安全確保義務

憲法一三条、二五条は、基本的人権として国民の生命、健康を保持する権利を保障し、一方国に対しては国民の生命、自由、幸福追求の権利を最大限尊重し、公衆衛生の向上及び増進をはかり、右基本的人権を維持し発展させることに努めるべき義務を課している。薬事法は、右憲法規定を受け、医薬品の局方収載及び製造承認等にあたり医薬品の安全性の確保を被告国に義務づけたものと解すべきであって、被告国は、薬事法に基づき、個々の国民に対し、医薬品の安全性を確保すべき注意義務を負っているものである。なぜならば、薬事法が規制の対象としている医薬品は、人が病気の治療や予防に用いるものではあるが、生体にとっては異物であるため、有用な作用を持つ反面、副作用等の発生する危険を本質的に内在させており、また、いかに有用な医薬品といえども用法、用量等を誤れば、毒にしかならないから、医薬品の安全性が確保されないときは、広範な国民の生命健康に回避不能な甚大な被害を与えることになるが、個々の国民が医薬品の安全性を審査することは不可能であり、被告国が、個々の国民に代わって、製薬会社が医薬品の安全性確保義務を尽くしているか否かを監視し、医薬品の安全性を確保する義務を果たさなければ、個々の国民の生命、健康を保持することは不可能だからである。

2 注意義務の内容

被告国は、医薬品の局方収載、製造又は輸入についての許可又は承認にあたり、当該医薬品及びその類似化合物について、世界最高水準における文献調査、薬学的・薬理学的研究、急性・慢性毒性に関する動物実験及びヒトにおける臨床試験をし、更に臨床使用の経験のある医薬品については臨床使用の追跡調査などを申請者たる製薬会社に行わせるか、又は必要に応じて国自らもこれらを行い、当該医薬品の化学的性質、来歴、吸収・代謝・分布・排泄の程度、毒性の内容と程度、諸外国における規制の状況等を調査研究し、もって人体に不測の被害をもたらすことがないように危険な医薬品は局方収載・製造承認等をせず、また、局方収載・製造承認等をする医薬品についてはその用法、用量、副作用、禁忌などについて厳重な規制をして、消費者たる国民の生命健康を守る安全確保の義務がある。

また、被告国は、医薬品を局方に収載した後及び製造承認等をした後も、右同様の調査研究を製薬会社に行わせたり、被告国自らが行うなどして、医薬品の安全性を確保する事後監視義務がある。そして、前記事後監視の結果、当該医薬品の安全性に問題があると認められたとき、被告国は、予測される危険に応じて、医師等の医療関係者等に情報を伝え、あるいは警告を発するなどして、適応症・用法・用量の限定などの規制を行ったり、販売の規制を行うなどの措置を講じて、医薬品による健康被害を防止すべき義務がある。

3 予見可能性

前記二2、3のとおり。

4 注意義務の懈怠

厚生大臣は、前記のとおりキノホルムが人体に対して神経障害を含む害作用を及ぼすことが予見できたにもかかわらず、前記注意義務を怠り、キノホルムを第六改正日本薬局方(昭和二六年公布)及び第七改正日本薬局方(昭和三六年公布)に収載し、また、医薬品の有効性と安全性については十分な審査をすることなく、各キノホルム剤の製造承認等をなした上、更に、キノホルム剤の局方収載及び製造承認等の後、既に述べたとおりキノホルム剤の副作用が明白になっているにもかかわらず、昭和四五年八月椿忠雄らがキノホルム説を出すまで、全く何らの規制措置もとらなかった過失がある。

第四  損害

一  スモン被害の特質

スモン患者は、病気の治療のために服用したキノホルム剤によって、障害の程度に個人差こそあるものの、神経障害を中心とする複雑深刻な全身的障害を受け、筆舌に尽くしがたい肉体的、精神的苦痛を受けてきたものであって、患者の中にはこのような苦痛に耐えかねて自殺するのやむなきに至ったものさえ少なくない。とりわけ、伝染病説が流布されたことにより、患者やその家族が被った精神的、社会的苦痛には甚大なものがある。スモン患者が被ったこれらの損害は、総体として包括的に捉えられるべきであり、かつ、スモン患者の損害は共通性、等質性を持っているから、このような場合には慰謝料形式で包括一律的な請求をすることも許されるべきである。

二  原告の損害

原告は、昭和四四年一二月一七日から約一か月間強力メキサホルムを服用したところ、昭和四五年四月一〇日、急に足が動かなくなり、下肢のしびれがひどく、腰のところの感覚もにぶくなるなど、スモンの症状が発現した。その後回復してきたが、現在も下肢のしびれがひどく、雨が降った時は足が硬直して歩行が困難になる。視力も左が0.4、右が0.3に低下し、物がぼけて見える。中学校の教師をしているが、音楽の担任を辞めざる得なくなった上、特に冬と雨の時期はしびれがひどくなり、仕事を休まなければならない状況にある。したがって、原告の慰謝料はその症状等からして金四〇〇〇万円は下らない。また、原告は、弁護士高橋勝ほかに本件訴訟の提起追行を委任し、原告勝訴の判決が言い渡されたときは認容額の一割にあたる四〇〇万円を同弁護士らに支払うことを約した。右委任に伴って出損する費用は本件不法行為と相当因果関係にある損害というべきであり、被告らの負担すべき額はこれを併せた合計金四四〇〇万円となる。

第五  結論

よって、原告は被告ら各自に対し金四四〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和四六年一月一日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四章  請求原因に対する認否

第一  被告チバ

一  当事者

1 原告がスモン患者である事実は知らない。

2 原告主張のとおり、被告チバがキノホルム剤を製造又は輸入したことは認める。

二  因果関係

1 原告が、原告主張のとおりキノホルム剤を服用した事実及びスモン病を発病した事実は知らない。キノホルム剤を服用したためスモンになったとの事実は否認する。

2 スモンは日本特有の疾患であり、スモン発症には日本特有の何らかの環境因子が関与している。環境因子が何らかの物質であるか、病原体であるのかなどは現在のところ明らかではないが、キノホルムはスモン発病の原因とはなり得ない。また、仮に日本においてスモンとキノホルムとの間に何らかの関係があるとしても、右に述べたような日本特有の因子を介してのみ一つの自然的因果の関連に立ち得るにすぎず、かつ、その介在要因を製造販売者が認識することは不可能であるかあるいは認識を期待することは合理的ではないので、法律上の因果関係がない。

三  責任

1 被告の責任についての主張は争う。

2 被告チバは、キノホルム剤を内服薬として製造販売するに先立ち、著名な部外の研究所に組織学的調査を委嘱してその有効性と安全性を確認し、また、製造開始後においても、各時代において可能な最善の方法により著名な学者や研究機関の協力をも要請して、キノホルムの安全性再確認のため常時各種の生物実験を行ってきたのであって、被告チバに製薬会社としての注意義務違反があったとの原告らの主張には理由がない。いかなる医薬品も何らかの副作用の可能性をもっているのであるから、何らかの有害・危惧・不安の可能性の存在をもって予見可能性ありとするのは相当ではない。キノホルム剤の効用については長年各国の臨床治験例によってその有効性が高く評価されていたのであり、他方副作用に関しては、昭和一〇年アルゼンチンにおけるグラヴィッツ及びバロスの症例報告があるのみで、その後は見るべき副作用の紹介は何もなかったのであるから、かかる孤立した副作用報告の症例を一般化してキノホルムの神経毒性に疑いを抱かなければならないとすることはできない。薬物によりある種の動物に危険性が示されたといってもその薬物がヒトに対しても同様の危険性を有するとは限らない。キノホルム剤は長い間ヒトの内服薬として格別な副作用が認められずに使用されてきたものであって、動物実験の結果、ヒトに対する危険性を疑わなければならないということにはならない。

四  損害

損害については知らない。

第二  被告武田

一  当事者

1 原告がスモン患者である事実は知らない。

2 被告武田が医薬品の製造等を業とし、被告チバが製造したキノホルム剤を販売した事実は認める。

二  因果関係

1 原告がキノホルム剤を服用した事実及びスモン病を発病した事実は知らない。キノホルム剤を服用したためスモンになったとの事実は否認する。

2 スモンとキノホルムとの間に因果関係があるとの事実は、否認する。また、仮にキノホルムがスモンの一因をなすとしても、それは医薬品としてのキノホルム剤本来の性質に基づくものではなく、過剰投与に基づく害作用に基づくものか、あるいはこれと更に重要な他の要因との結びつきによる場合としか考えられず、したがってこのような場合はもはやスモンとキノホルムとの間に相当因果関係が認められない。

三  責任

1 被告の責任についての主張は争う。

2 いかなる医薬品も何らかの副作用の可能性をもっているのであるから、何らかの有害・危惧・不安の可能性の存在をもって予見可能性ありとするのは相当ではない。キノホルム剤の効用については長年各国の臨床治験例によってその有効性が高く評価されていたのであり、他方副作用に関しては、昭和一〇年アルゼンチンにおけるグラヴィッツ及びバロスの症例報告があるのみで、その後は見るべき副作用事例の紹介はなにもなかったのであるから、かかる孤立した副作用報告の症例を一般化してキノホルムの神経毒性に疑いを抱かなければならないとすることはできない。

被告武田が販売したキノホルム剤は、すべて被告チバが製剤し、小分けし、能書を封入添付して包装したものであり、被告武田は最終製品として完成したものを仕入れ販売していたものである。すなわち、被告武田はキノホルム剤の中間流通業者にすぎないので、製造者と同一の責任を問われるような特別な場合があり得るとしても、本件において被告武田はそのような特別な販売者には該当しない。したがって、販売者である被告武田は原告ら主張のような注意義務を負うことはない。

四  損害

損害については知らない。

第三  被告国

一  当事者

1 原告がスモン患者である事実は知らない。

2 被告会社らがいずれも医薬品の製造等を業として原告ら主張のとおりキノホルム剤の製造等をしたものであること、被告国が厚生大臣をして医薬品の製造又は輸入について許可又は承認をさせていること、厚生大臣が原告ら主張のとおり被告会社らが製造又は輸入したキノホルム剤につき許可又は承認したことは認める。

二  因果関係

1 原告が原告主張のとおりキノホルム剤を服用した事実及びスモン病を発病した事実は知らない。

2 スモンとキノホルムとの間の因果関係については、知らない。

三  責任

1 被告国の責任に関する主張は争う。

2 薬事法の立法趣旨及び目的は、不良医薬品の取締りにあり、医薬品の安全確保のための積極的、具体的な規定は存在しないから、原告国は副作用のない安全な医薬品の供給を受けうるという個々人の利益を保護することを法律上義務付けられているものではない。したがって、原告らが侵害されたとする利益はいわゆる反射的利益にすぎず、薬事法違反を理由として被告国に対し損害の賠償を請求することはできない。

3 公権力の行使に当たる公務員の行為が国家賠償法一条一項の適用上違法と評価されるためには、その公務員が損害賠償を求める当該国民に対して個別具体的な職務上の法的義務を負担している場合であって、かつ、右職務上の法的義務に違反したと評価されることが必要である。薬事法制の沿革及び薬事法(昭和五四年法律第五六号による改正前のもの)に医薬品の製造承認・許可にあたっての審査基準、審査手続、審査機関、承認後における追跡調査制度及び承認の撤回等に関する規定がないことからすれば、薬事法上国に医薬品の安全性を確保する法的義務がないことは明らかである。また、キノホルム剤の許可・承認後における厚生大臣の不作為を問う原告の主張は、厚生大臣の規制権限の不行使の責任を問うものと言い得るところ、行政機関が規制権限を発動することは、規制を受ける者にとっては公権力による権利の制約を意味するものであるから、右職務権限の有無は、法律による行政の原理から見て、法律によってその規制権限の目的、内容及び発動要件が明確に規定されていることが必要であるが、前述したとおり、薬事法には承認の撤回に関する規定はないし、薬事法上被告国に医薬品の安全性を確保する義務があったとは認め難い。

4 一般に行政権限の行使はその権限を付与された公務員の専門・技術的見地に立った合理的判断に基づく自由裁量に委ねられていると解すべきであり、厚生大臣の行う許可・承認等の行為についても裁量権に逸脱又は濫用のない限り違法とはならない。

5 本件の直接の加害者は被告会社らであり、厚生大臣は、薬事法に基づいてチェック機関として後見的立場から医薬品に関わりを持つにすぎず、被告会社らと共同不法行為の関係に立つわけではないし、医薬品の安全性の確保について第一次的に責任を負うのは製薬会社であり、被告国がその加害行為を防止し得なかったという点で責任を問われている事案における国の責任というのはあくまでも二次的、後見的、限定的なものにすぎず、特定の調査目的がないまま外国の医学文献を詳細に調査、評価することや、独自に動物実験等をして薬剤の安全性を確認すべき義務は負わない。

第五章  被告会社らの時効の抗弁

原告は、昭和四九年一月一七日ころ、権平達二郎医師より、昭和四九年一月一七日を作成日付とする「病状記録」と題する書面の交付を受けており、同書面には、「スモン病と判明した年月日昭和四五年四月一〇日、強力メキサホルム一日六錠、昭和四四年一二月一七日以来約一か月余連用」と記載されている。これは、原告が昭和四九年一月一七日の時点で、損害及び加害者を知っていたことを裏付けるものであり、本件損害賠償請求権は、三年の経過により時効消滅したので、被告会社らは、右消滅時効を援用する。

第六章  被告会社らの時効の抗弁に対する認否、反論

昭和四九年一月一七日作成の権平達二郎医師の病状記録等により、原告が当時スモン病に罹患していたことを知っていた事実は認める。しかし、強力メキサホルムを被告チバが輸入・製造し、被告武田が販売している事実は、本件訴訟の直前まで知らなかった。

訴え提起から十数年を経過した時点で消滅時効を援用することは、いたずらにスモン患者を苦しめる不当なものであり、許されない。

第七章  証拠〈省略〉

理由

第一章スモン及びキノホルム

第一スモン問題の沿革

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

一昭和三〇年ころから山形県、三重県において慢性下痢経過中、下肢の知覚異常、筋力低下を起こす従来見られない神経病の存在が報告され、その後も同様の疾患が報告されていたが、昭和三七、三八年ころから飛躍的に増加し、特に釧路市、山形市、徳島市、大牟田市、津市などにおいて集団的に発生し、昭和四一年ころから岡山県井原市、湯原町において集団発生するに至った。当初、右疾患は腹部症状を伴う脳脊髄炎症と捉えられ、独立した単位疾患であるか否かについて議論されていたが、昭和三九年五月の第六一回内科学会総会において、椿忠雄らがこれを亜急性脊髄視神経症(Subacute Myelo-Optico-Neuropathy)と呼称し、その後、一般にスモンと略称されるとともに、学会等における議論を通じて、独立疾患であると認識されるに至った。

二スモンの病因については、細菌あるいはウイルス等による感染説、腸内細菌毒素説、アレルギー説、ヴィタミン欠乏等の代謝障害説、農薬、重金属等による中毒説等が唱えられ、多発地域の報告者は感染説に、散発地域の報告者は非感染説に立つ傾向があり、また、病理学的立場からはスモンが非炎症性の疾患であるから感染症としては説明し難いとし、中毒説あるいは代謝障害説が唱えられていた。

スモンが原因不明の難病として社会的にも注目されるようになったため、昭和三九年(一九六四年)には、厚生省科学研究助成金により前川孫二郎(京都大学医学部教授)を班長とする「腹部症状を伴う脳脊髄炎症の疫学的及び病原研究」班(以下「前川班」という。)が発足し、スモンについて調査研究を行ったが、さしたる成果も得られず、昭和四二年には研究費が打ち切られたことから解散した。

しかし、その後もスモンの発生は続き、昭和四一年以降、岡山県の井原地区、湯原地区に集団的に多発したため、厚生省は、昭和四四年(一九六九年)三月厚生省科学特別研究費を投じてスモン研究班を発足させ、次いで科学技術庁が特別研究促進調整費をスモン研究にあてることになったことから、右スモン研究班は発展的に解消され、同年九月二日スモン調査研究協議会(以下「スモン協」という。)が発足し、スモンの調査研究にあたることになった。スモン協は甲野礼作(国立予防衛生研究所ウイルス中央検査部長)を会長とし、当初は、疫学、病理、病原、臨床の四班に分かれて研究を行ったが、昭和四六年以降は、疫学、治療予後、病理、キノホルム、保健社会学、微生物の六部会に編成替えがなされ、医学、薬学等関連各分野の研究者が多数参加し、調査研究を行った。更に、その後、スモンが特定疾患に指定されたことから、昭和四七年(一九七二年)度より、スモン協は特定疾患調査研究スモン班(以下「スモン班」という。)として再出発した。

三スモン患者については、急性腹部症状、神経症状の初発、再燃時等に緑色の舌苔や緑黒便が見られることが臨床医や研究者により気付かれており、スモンの病因と何らかの関連があるのではないかと考えられていたが、田村善蔵(東京大学薬学部教授)らによりスモン患者の緑舌内にキノホルム剤が存在することが確認され、昭和四五年六月三〇日のスモン協総会において発表された。

四前記田村らの分析の結果を知った椿忠雄(新潟大学医学部教授)は、キノホルムがスモンの原因ではないかとの仮説を立て、新潟県下を中心に疫学調査を行ったところ、①スモン患者の大部分が神経症状発症前にキノホルム剤を服用していること、②神経症状発現の時期とキノホルム剤の服用の時期に密接な関連があること、③キノホルム剤の使用量の多い病院でスモン患者が多いこと、④服用量と重症度とにある程度関連があることをつきとめ、昭和四五年(一九七〇年)八月六日、スモンの発生とキノホルムの服用との間に関連がある旨の発表をし、その旨新潟県を通じて厚生省に報告した。椿は、更に疫学的調査を進めた上、同年九月五日の日本神経学会関東地方会において右調査結果に基づき、スモンの発生とキノホルム剤の服用とは関連がある旨の発表を行った。

五厚生省は、椿の報告を重視し、椿から資料の提供を受け、また、同年八月二七日、甲野らを招いて会合を開き、次いで同年九月二日、スモン協から甲野、椿ら七名、中央薬事審議会医薬品安全対策特別部会の六名、副作用調査部会の六名、厚生省薬事局長ら関係者の出席を求め、キノホルムに関する検討を行った。その結果、厚生大臣は、同月四日、中央薬事審議会に対しキノホルム及びキノホルムを含む医薬品の取扱いについて諮問し、同審議会は、同日厚生大臣に対し左記の内容の答申をした。

本病(スモン)発生に対してキノホルム剤が何らかの要因になっている可能性は否定できないので、事態がさらに明確になるまで当分の間左記の措置をとることが適当であると考える。

(1) キノホルム及びキノホルムを含有する製剤の販売を中止させるとともに、これらの使用を見合わせるよう警告する。

(2) 他の8―ヒドロキシキノリンのハロゲン誘導体についても同じ扱いにすること。

(3) 腸性末端皮膚炎等医療上本剤を使用することが特にやむを得ない場合については別途考慮すること。

右答申に基づいて、厚生省は、同月八日各都道府県知事宛に左記内容の「キノホルムを含有する医薬品の取扱いについて」と題する事務局長通知を発し、キノホルムの販売中止措置をとった(以下「行政措置」という。)。

六行政措置の後、スモン協が、二度にわたってスモン患者のキノホルム剤服用状況の全国調査を行ったほか、スモン協班員らによる疫学調査、各種動物を使ってのキノホルムの毒性試験や体内分布に関する実験、その他の研究・調査が積み重ねられた結果、スモンの病因はキノホルムにあるとの見解が次第に有力になっていった。

スモン協は、昭和四七年三月一三日の総会において、研究総括として疫学的事実並びに実験的根拠から、スモンと診断された患者の大多数は、キノホルム剤の服用によって神経障害を起こしたものと判断される旨発表した。次いで、昭和四八年三月一三日のスモン班総会において、行政措置の後スモンの新患が激減していることは、スモンの病因がキノホルムをおいては考えられないことを示すデータであり、キノホルム病因説は確定されたと見てよい、キノホルム説とのバランスにおいてウイルス説はもはや殆ど問題にならないものと結論されるに至った旨の報告を行った。その後、昭和五〇年の総会では、スモンとキノホルム剤との間の因果関係は、決定的になったとの報告がなされた。

第二スモンの診断指針

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

スモンの診断基準は、高崎浩、椿忠雄、祖父江逸郎、国立病院研究グループ(スモン共同研究班)などによって独自に発表されてきており、その根幹をなす症状についてはほぼ見解が一致していたが、細部について差異があったため、スモン協は、昭和四五年五月、次のとおりスモン臨床診断指針を設定し、それ以降、一般にこれに従い診断がなされるようになった。したがって、スモンの臨床像は、左記の診断指針によるのが相当である。

スモン臨床診断指針

必発症状

1  腹部症状(腹痛、下痢など)概ね神経症状に先立って起こる。

2  神経症状

① 急性又は亜急性に発現する。

② 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身ことに下肢末端に強く、上界は不鮮明である。特に異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、その他)を伴い、これをもって初発することが多い。

参考条項(必発症状と併せて、診断上極めて大切である。)

1  下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

2  運動障害

① 下肢の筋力低下がよく見られる。

② 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象を呈することが多い。)

3  上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。

4  次の諸症状を伴うことがある。

① 両側性視力障害

② 脳症状、精神症状

③ 緑色舌苔、緑便

④ 膀胱、直腸障害

5  経過は概ね遷延し、再燃することがある。

6  血液像、髄液所見に著明な変化がない。

7  小児には稀である。

なお、神経症状発現前に見られる腹部症状については、安藤一也、祖父江逸郎、井形らの研究により、神経症状の発現前に先行して慢性的又は急性に現れる腹部症状と神経症状に時間的に密着して現れる特異的な前駆的腹部症状とに分けられる。前者はキノホルム剤投与の原因となった慢性の胃腸疾患、食中毒等の非特異的な一般の胃腸障害であり、後者の前駆的腹部症状はキノホルム剤服用の結果発現するスモンに特徴的な腹部症状で、その症状は激しい腹痛、便秘、腹部膨満感、嘔吐、食欲不振、更には、イレウス様症状を来すことが多いとされる。この前駆的腹部症状は、自律神経の障害によるものと考えられている。

第三スモンの病理組織学的診断基準

〈書証番号略〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

スモン協病理部会は、昭和四七年三月、昭和四四年一一月以降に全国で行われた一五〇例のスモン剖検例を集め、部会員の鏡検結果に基づく意見交換を経た後、一一四例をスモンとして選び、これらの剖検例にほぼ共通して見られ、あるいは比較的高い頻度で現れる特色ある所見をスモンの病理組織学的診断基準を以下のようにまとめており、スモンの病理組織学的診断基準については、右見解に従うべきである。

スモンの病理組織学的診断基準

スモンは、脊髄長索路及び末梢神経の変性疾患である。変性は、ほぼ左右対称で、ニューロンの遠位に強い。

1  脊髄

(1) 病変はゴル束に最も強い。

(2) 錐体路も侵される。

(3) 前角細胞の中央染色質融解が腰髄そのほかに見られることがある。

2  末梢神経

(1) 末梢神経の病変も下肢遠位部に強い。

(2) 後根神経の病変は前根神経よりも強い。

(3) 後根神経節内の神経細胞も侵されることが多い。

(4) 自律神経にも変性が見られる。

3  視神経の変性を伴うことがある。通常は、視索と視神経交叉付近が侵される。

4  病変の強い例ではオリーブ核等に変化が見られる。

5  大脳、小脳には上記部位に見られるほどの強い変化を認めないのを常とする。

第四キノホルム

〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

一化学構造

キノホルムは、キノリンの八位に水酸基を導入した8―ハイドロキシキノリンの五位に塩素、七位にヨウ素を導入したもので、「ヨードクロールオキシキノリン」、「ヨードクロルオキシン」、「5クロル7ヨードハイドロキシキノリン」などと呼ばれ、国際的にはクリオキノールと呼ばれている。

二開発

キノホルムは、一八〇〇年代末ヨードホルムに代わる外用防腐剤として開発され、明治三三年(一九〇〇年)スイス・チバ社の前身であるスイスのバーゼル化学工業会社が、ヴィオフォルムの商品名で外用防腐創傷剤として製造、販売を始め、わが国においても、大正二年(一九一三年)、三共合資会社が一手販売元となり販売を始めた。

三内用化

昭和四年(一九二九年)梶川静夫(梶川内科医院長)は、ヴィオフォルムが内用薬として腸結核、疫痢等の治療に効果がある旨の報告を発表し、昭和六年(一九三一年)チバ社(ニューヨーク市)らの援助により研究に当たっていたH・H・アンダーソン、N・A・デイヴィッド、D・A・コッホらがヴィオフォルムにはモルモットでの実験で殺バランチジウム作用がある旨の報告を行い、また、サルでの実験ではアメーバ赤痢の治療に効果がある旨の報告を行い、その後N・A・デイヴィッドその他の学者によりヴィオフォルムは内用薬としてアメーバ症患者の治療に効果がある旨の多数の報告がなされた。

その結果、昭和九年(一九三四年)、スイス・チバ社が、ヴィオフォルムの腸内面における乳化とその分布を容易にするためキノホルムにサパミンを配合した「エンテロ・ヴィオフォルム」を内用薬として製造、販売するようになり、わが国でも販売された。また、戦後、スイス・チバ社からキノホルムにエントベックスを配合した「メキサホルム」や田辺製薬株式会社からキノホルムにカルボキシメチルセルローズを配合した「エマホルム」等のキノホルム剤が製造、販売されている。

第二章因果関係

第一総論的因果関係

一病因推定のための疫学的手法

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

病因の究明方法には、いろいろな方法があるが、疫学的手法が有力な一つの方法とされている。疫学は、医学の一分野として発達してきたものであって、その究極的目的は人間の健康の保持、増進を図ることであるが、個々の患者を対象にその診断と治療の方法を研究する臨床医学及び患者個体を細胞レベルあるいは分子レベルまで分析して研究する基礎医学と異なり、患者だけでなく健康者を含めた人間集団を対象に、主として疾病の予防方法を研究する。もともと疫学は、その名称の示すごとく、かつては伝染病の流行を研究するためのものであったが、今日では伝染病研究を通じて培われた集団観察の方法と技術を駆使発展させて、非伝染病疾患を含めたすべての多発する健康異常を研究の対象としている。

疫学の目的は疾病の予防であるが、そのためには疾病の原因を明らかにすることが必要であり、疫学の第一義的任務は原因の究明である。原因とは結果を引き起こすのに十分な条件であるが、病原体のような生物学的原因は必要条件であっても十分条件ではない。十分条件としては病原体自体の量や毒性のほか、人間(宿主)の側の条件及び病原体を取り巻く周囲の環境条件が考えられる。右の必要条件は、これがなければ疾病が起きないことから原因とか主因とか呼ばれ、十分条件を満たすものが副因とか誘因とかいわれるものである。疫学は右のように人間集団を対象に健康障害に関する因果関係を追究するものであるが、具体的には集団内におけるその発生状況を定量的に観察した上で、その発生がいかなる要因によって影響されるかを検討し、それらの要因が、その疾病又は健康障害と因果関係があるかどうかを決定していくことになる。

ところで、一般に、ある因子とある疾病の間の因果関係を決定するためには、①その疾病の患者にはその因子が存在するが(一〇〇パーセントでなくともよい)、他の疾病の患者や健康者にはその因子が存在しないか、存在しても有意に低率である、②その因子を健康者に与えたらその疾病が発生するが(一〇〇パーセントでなくともよい)、与えなかったら発生しないとの二条件が満たされることが必要である。しかし②の条件は実験疫学的方法であり、人間を対象とする実験では、倫理的に、有害物質を除去する実験はできても加える実験はできない。このような場合には、右実験をしなくともある因子と健康障害との間に、①その因子が健康障害の発現に先行して存在していること、②両者の間に高い関連性があり、時間的、場所的及び集団の種類別にみても同様の関連性が認められること、③その因子が原因として作用する機序が医学的理論と矛盾しないこと、④量と反応の関係のあることが認められれば、両者の間に因果関係の存在することがかなり高い確率で推定できる。

二スモンの病因としてのキノホルム

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

そして、スモンに関しては、以下に指摘する多くの研究者による疫学的調査等の結果、(1)キノホルム剤はスモン患者にかなり高率に服用されており、健康障害の発現に先行して存在していること、(2)スモン患者の大部分がキノホルム剤を服用していることが全国的に認められ、キノホルム剤の販売中止措置をとった後、スモンの発生は終息をみていること、(3)スモンの発生機序については不明な部分もあるが、キノホルム剤を原因とみても医学的には矛盾はないこと、(4)量と反応の関係が認められることからして、スモンの病因は、キノホルムと認めることができるものである。

1 スモン患者のキノホルム剤服用状況

(一) スモン協は、スモンとキノホルム剤との因果関係を検討することを目的として、昭和四五年九月、確実なスモン患者で発病前後の服薬状況の明らかな者を対象に、キノホルム剤の服用状況の調査を行った。その結果によれば、患者総数八九〇例から薬剤使用状況の不明な一四八例を除いた七四二例のうちスモンの神経症状発現前六か月以内にキノホルム剤を服用したものは六一〇例(82.2パーセント)であり、右期間内に確実に服用していないものは一一〇例(14.8パーセント)であった(〈書証番号略〉)。

(二) 次にスモン協は、昭和四六年七月、右同様の目的で右同様の調査を実施したところ、患者総数二四五六例から薬剤使用状況の不明な六一七例を除いた一八三九例のうちスモンの神経症状発現前六か月以内にキノホルム剤を服用したものは一三八一例(75.1パーセント)であり、右期間内に確実に服用していないものは二六九例(14.6パーセント)であった(〈書証番号略〉)。

(三) 椿忠雄らが、新潟県下の某町立病院の昭和四四年一月一日から昭和四五年七月三一日までの内科の全カルテからキノホルム剤服用者二六三例とキノホルム剤非服用消化器疾患者七〇八例を抽出し、その神経症状を検討したところ、キノホルム剤服用者中明らかなスモン患者は一八例、スモンの疑いのあるものは一一例(合計一一パーセント)であったが、キノホルム剤非服用消化器疾患者七〇八例中には一例も見出すことができなかった(〈書証番号略〉)。

(四) 黒岩義五郎らが、昭和四四年八月以降福岡市南部六地区の内科、小児科、外科等二六施設についてカルテ調査、集団検診等の方法により調査を行ったところ、二七名のスモン患者が発見され、うち二五例(九三パーセント)が神経症状発現前にキノホルム剤を服用しており、キノホルム剤を使用している一七施設のうち五施設にスモン患者が発生していたが、キノホルム剤を使用していない九施設にはスモン患者は発生していなかった(〈書証番号略〉)。

(五) 山本俊一らが岡山県Y町のY病院内科及び小児科を昭和四〇年四月から昭和四六年三月までに受診した全患者のカルテをもとにキノホルム剤の使用状況とスモン患者の発生との関係について調査したところ、右期間中のスモン患者発生数は疑似患者を含めて一四一名であり、神経症状発現前にキノホルム剤の投与を受けたものは一〇七例(75.9パーセント)であり、キノホルム剤服用集団からのスモン発症率は9.5パーセントであり、非服用集団からの発症率1.3パーセントに比べて有意に差があった(〈書証番号略〉)。

(六) 吉武泰男(石山病院胃腸科医師)らが、東京都内の石山病院において昭和四一年一月から昭和四五年六月までの間に行った虫垂炎以外の開腹手術を受けた患者のうち入院中退院後にわたって経過追跡可能であった一五五例について調査したところ、キノホルム剤を服用した患者七八例においてスモンを発症したものは三四名(43.6パーセント)であったが、キノホルム剤非服用者七七例においてはスモン患者は発生していなかった(〈書証番号略〉)。

(七) 青木国雄(愛知県ガンセンター研究所疫学部長)らが、N市内の一病院内において昭和四四年度外来患者四三一八例をカルテを中心にキノホルム剤の使用状況とスモン患者の発生との関係について調査したところ、キノホルム剤を服用した患者のスモン発症率は3.2パーセントで、キノホルム剤非服用者のそれは0.1パーセントであり、有意に差があった(〈書証番号略〉)。

(八) 椿らが、昭和四五年七月、新潟県下の六病院、長野県下の一病院で、スモン患者のキノホルム剤服用状況を調査したところ、調査対象一七一例のうち、スモンの神経症状発現の前にキノホルム剤を服用したものは一六六例(九七パーセント)であった(〈書証番号略〉)。

2 量と反応の関係

(一) 黒岩義五郎らの前記調査によれば、スモン患者が多発したY病院とスモン患者非発生のN病院について昭和四二年一月から昭和四五年八月までのキノホルム剤の投与量、投与日数などについて検討したところ、Y病院はN病院と比べて、腸疾患に対する一週間以上のキノホルム剤使用頻度、キノホルム剤年間総投与日数、一日一人あたりの平均投与量が明らかに多かった。

(二) 山本俊一らの前記調査によれば、スモン患者の発症前後のキノホルム剤投与合計量と重症度との間には相関係数0.52という高い相関関係が認められた。

(三) 吉武泰男らの前記調査によれば、スモン患者の神経症状の軽重の程度は神経症状発症前後のキノホルム剤の服用期間と並行し、また、著しい腹部症状がなくキノホルム剤を主として手術後予防的に処方した症例においてスモン患者が多く発生している。

(四) 椿忠雄らの前記調査によれば、スモン患者の神経症状発症前後のキノホルム剤の服用総量が多いものは重症者(強度の歩行障害、視力障害のあるもの)に比較的多く、また、キノホルム剤一日服用量と神経症状発現までの服用期間との関係は一日量六〇〇ミリグラムの場合は平均48.8日、一日量一二〇〇ミリグラムの場合は平均29.4日であった。

(五) 青木国雄らの前記調査によれば、キノホルム剤投与例のスモン患者一四例について、その服用量につき一日量と継続日数を組み合わせた群別に発症率を調べると明瞭な量と反応の関係が認められた。

(六) 金光正次らの北海道における調査によれば、キノホルム剤総投与量と患者の発症率との間には投与量の増加に伴って発症率も上昇する傾向が認められた(〈書証番号略〉)。

(七) 山本俊一らの埼玉県戸田、蕨地区における調査によれば、スモン患者が集中しているB医院と、これと地理的に非常に接近し、同じ診療科、診療規模、初診患者層を持つスモン患者非発生のD医院とを比較したところ、B医院はキノホルム剤一日投与量がD医院に比べて際立って多く、また、スモン患者が多発しているA病院と診療規模、診療科目(一部に相違あり)、受診圏、地域における信頼度がほぼ同一でスモン患者がごく少数しか発生していないC病院とを比較したところ、C医院はキノホルム剤一日投与量、投与期間とも短かった。また、蕨市内三七の医療機関について国保レシートで調査した結果によると、キノホルム投与をしていない二七の医療機関の名前はスモン患者が神経症状発症前に受診したことのある医療機関としてあげたものに含まれていないし、また、キノホルム投与をした医療機関でも投与量が一定量以下で投与日数が短ければ受診中スモン患者が発生した例は極めて少なかった(〈書証番号略〉)。

3 キノホルム剤の生産、輸入量とスモン患者発生数との関係

(一) 甲野らが、わが国の年次別のスモン患者の発生数とキノホルム剤の生産、輸入量との関係を調査した結果、同人らはキノホルム剤の生産、輸入量の増大とスモンの年次別発生数の増加との間には明瞭な並行関係があると報告している。

(二) スモン協による二回のスモン患者全国実態調査およびスモン班の調査による昭和四九年三月末までの全国のスモン患者の発生数は、昭和三六年以前が一五三例、昭和三七年が九八例、昭和三八年が一六六例、昭和三九年が二六〇例、昭和四〇年が四五一例、昭和四一年が七三一例、昭和四二年が一四五二例、昭和四三年が一七七〇例、昭和四四年が二三四〇例、昭和四五年が一二七六例、昭和四六年が三六例、昭和四七年が三例、昭和四八年が一例であり、また、昭和四五年に行政措置がとられた後の月別スモン患者の発生数は、九月が三七例、一〇月が一八例、一一月が四例、一二月が六例である。

右事実によれば、行政措置以後、スモン患者の発生が急激に減少したことが明らかである(〈書証番号略〉)。

4 動物実験の結果

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 立石潤らは、雑犬二一頭、ビーグル犬九頭、猫二七頭、日本猿一頭に対しキノホルム剤を長期漸増的に経口投与したところ、臨床症状としては雑犬一三頭、ビーグル犬八頭、猫六頭に両下肢の運動麻痺、脱力、筋萎縮、腱反射亢進と痙性、失調性歩行などの慢性中毒症状が見られ、特に脊髄性失調症状を中心症状とし、投与を続けることにより症状はより重篤化した。また、長期罹患雑犬、ビーグル犬、猫では視力障害が認められた。また、これらの動物を剖検した結果、ヒトにおけるスモンの病理とほぼ同一の特異的な脊髄神経症が認められた(〈書証番号略〉)。

(二) 立石は、前記(一)の実験の後、被告チバから、同社の動物実験の結果によれば、キノホルム剤の固定量をビーグル犬に投与しても神経毒性が現れないとの反論がなされたことから、被告チバ社と同一の条件で再度ビーグル犬に対するキノホルム剤投与実験を行ったところ、前記実験結果と同様の結果が得られた(〈書証番号略〉)。

(三) 高橋理明らは、カニクイザルにキノホルム剤を経口投与したところ、投与開始後三ないし九か月後、程度の差はあるものの、殆ど全例で後肢麻痺を起こした。また、組織学的に検索した四匹のサルの脊髄にヒトのスモンの脊髄変化に近いと思われる変化が生じた(〈書証番号略〉)。

(四) その他の研究者によって行われたサル、イヌ、ネコ、ウサギ、ニワトリ、ウズラ等の動物実験によっても、キノホルム剤を投与した前記動物たちにヒトにおけるスモンと同様の運動麻痺、失調が見られ、病理組織的に見ても、ヒトのスモンと大差がなかった。

5 発生機序に関する研究

〈書証番号略〉を総合すれば、スモン協、スモン班所属研究者らの研究成果及び所見では、キノホルムの毒性が消化管から体内に吸収され、スモンの発症に至る機序が完全ではないとはいえ、相当程度解明されており、キノホルムとスモンとの関連性が明らかになっていることが認められる。

三井上ウイルス説、農薬説について

なお、スモンの病因に関しては、田辺薬品工業株式会社が井上ウイルス説を主張してきた経過があり、被告チバも農薬中毒の可能性も否定できないと主張するので検討する。

右二で認定した事実に、〈書証番号略〉を総合すれば、井上ウイルス説については、一部の研究者によりこれを肯定する追試がなされたのみであって、スモン協、スモン班所属の多くの研究者らの研究によっても追試に成功しておらず、ウイルスの存在ないしは病原性について否定的な報告がなされていること、また、スモンの病変は炎症性ではなく、左右対称性の系統的ないし偽系統的変性であり、病理学上中毒あるいは代謝障害のカテゴリーに入るものであって、感染症とは考えにくいこと、スモン患者が一定の地域、一定の病院に多く発生した点についてもキノホルムとの関連性が認められており、ウイルス等による感染に特有な現象とは認められないし、行政措置以降スモン患者の発生が激減した事実をウイルス説では合理的に説明できないことなどの点を考えれば、井上ウイルス説を採用することはできない。

また、農薬中毒説についても、スモンが特に農民に多発しているわけではなく、発生地域はどちらかといえば都会が多いこと、そして、前記のとおりスモンとキノホルムとの間に関連性が認められていることに照らせば、採用することができない。

四スモンの外国における発生

被告会社らは、仮にスモンとキノホルム剤との間に何らかの関係があるとしても、スモンは日本に特有の疾患であって日本に特有の何らかの因子を介してのみ発生するにすぎず、その介在要因を製薬会社である被告会社らが認識することは不可能であるか、あるいは認識を期待することは合理的ではないので、法律上の因果関係がないと主張する。

しかし、〈書証番号略〉を総合すれば、ヨーロッパやアメリカにおいてもスモン(あるいはスモン様)患者が発生していること、片平冽彦らが一九七〇年から一九七六年八月にかけて諸外国で発表されたキノホルム中毒に関する報告についての文献調査を行い、更に、外国の厚生関係者にキノホルム剤の副作用報告の有無や何らかの使用規制を行っているかどうかについて郵便による調査を行ったところ、日本と比較すれば数は少ないもののキノホルム剤中毒の報告は諸外国においても年々累積しつつあり、キノホルム剤の使用規制を行っている国も増加しつつあることが認められ、キノホルム剤によるスモンの発生は決して日本に特有な現象とは認められないから、被告会社らの主張は採用できない。

第二個別的因果関係

被告らは、原告がスモン患者であることを争い、被告チバは、スモンと類似疾患の鑑別は難しく、原告にスモンの症状が発症したとする昭和四五年四月一一日の直前に原告が新潟県立ガンセンター病院において試験的開腹術を受けていることからすると、手術の後遺症の可能性も否定できないなどと主張している。

しかし、〈書証番号略〉、鑑定結果報告書の原告にかかる部分、証人権平達二郎の証言、原告本人尋問の結果(第一回、第二回)を総合すれば、原告は、①昭和四四年九月二三日から昭和四五年一月まで胃潰瘍、過敏性大腸症候群の診断を受け、新潟県新津市内の権平医院で権平達二郎(以下、「権平医師」という。)の治療を受けた際、昭和四四年一二月一七日から約一か月余にわたって一日あたり六個の強力メキサホルムを処方され、同剤を服用したこと、②しかし、その後も腹痛や下痢等の症状が続き、また、新潟大学付属病院で慢性膵炎の疑いとの診断を受けたことから、昭和四五年一月二〇日、新潟県立がんセンターに転院し、同月二二日から同病院に入院し、腹痛や下痢の原因を究明するため各種の検査を受けるとともに、同年三月二三日には試験的開腹術を受けたが、膵臓の方には何らの異常もなく、脾に湾曲が認められ、過敏大腸症と診断されたこと、③同年四月一一日、同病院に入院中に、突然左脚に倦怠感、しびれ等の症状が生じ、脚が重く、歩行が困難になり、また、異常な冷感を感じるなどの知覚異常が生じ、多発性神経炎との診断を受けたこと、④その後も足底に餅がついたような異常感や知覚異常が続き、昭和五〇年一二月二六日、スモンの研究に関しては第一人者の一人である椿忠雄医師の診察を受け、スモンと診断されたこと、⑤スモン研究の第一人者で構成された鑑定団による鑑定でも、スモン、症度Ⅰ度と認定されていることが認められ、原告が神経症状の発現の六か月以内にキノホルムを服用しており、スモンに典型的な足の痺れ、倦怠感、異常知覚等に見舞われ、医師からもスモンとの診断を受けていることは明らかであるから、原告が権平医師より処方された強力メキサホルムを服用したことによりスモンに罹患したことは明らかであると言わなければならない。

第三章無過失責任の主張について

原告は、本件のような薬害に関しては、被告らは無過失責任を負うべきであると主張している。しかし、わが国の民法及び国家賠償法とも過失責任主義を原則としているものであるから、現行法を根拠とする以上、無過失責任の主張を採用することはできない。

第四章被告会社らの責任

第一被告会社らの行為

被告会社らがいずれも医薬品の輸入、製造、販売を目的とする会社であること、昭和二八年以降被告チバが請求原因第一、二のキノホルム剤一覧表記載のキノホルム剤を輸入、製造し、これを被告武田を通じて販売し、被告武田が同キノホルム剤を販売したことは当事者間で争いがない。

第二医薬品の危険性

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

医薬品は、病気の予防や治療を目的として使用されるものであり、病気の予防・治療という有用な作用を有するものであるが、生体からみれば異物であるため副作用が生ずる危険性を本質的に内在させている「両刃の剣」的性格を持つものである。近代に至り医薬品の精製方法等が進歩し、化学合成医薬品が次々と製造されるようになったが、これらの新薬については、人類が多年にわたって使用し、安全性を確認してきたものではないため、予期せぬ副作用等が生ずる危険があることは否定できない。また、現代社会においては、医薬品は製薬会社により大量に製造され、販売されるようになったが、それを使う一般の消費者である国民は、医学、薬学等の専門的な知識を持ち合わせておらず、医薬品の効果はもちろんのこと、その安全性を判定する能力をもっておらず、医薬品の選択は医師の処方、指示、薬剤師等の助言に委ねられているのが現状であるし、個々の医師や薬剤師にしても、次々と開発される新薬のすべてについて、その安全性を調査、研究することは不可能な状況にある。したがって、安全性に欠ける医薬品が流通過程に置かれると国民の間に広範かつ重大な被害をもたらすおそれのあることは歴史の教えるところである。

第三注意義務の内容

一医薬品が疾病の予防・治療を目的とするものの、前記のような性質のものであることに鑑みれば、医薬品を製造・販売して利潤をあげている製薬会社が、医薬品の安全性を確保するため負担しなければならない責任は非常に重いといわざるを得ない。すなわち、製薬会社は、その時々の医学・薬学等関連諸科学の最高の学問・技術水準に立って、医薬品の安全性を確保する義務を負うものである。

二具体的にみれば、製薬会社は、医薬品の製造・販売を開始するにあたり、その時点における医学・薬学等関連諸科学の最高の学問・技術水準に達した文献調査、動物実験、臨床試験などの調査・研究を尽くして、当該医薬品が人の生命、身体に対してもたらす影響、特に副作用の種類・程度を認識・予見しなければならない。そして、薬の有用性と予測される副作用を比較考量して、副作用の方が大きいと考えられるときには、薬の製造・販売をするべきではないし、また、ある病気の治療には有効性が認められるものの、副作用を伴うことが否定できないものについては、予測される副作用の内容等を医師をはじめ、一般国民に明らかにし、薬が適正に使用されるよう注意を喚起しなければならない。

三また、医薬品の販売が開始された後も、常に予期せぬ副作用が生ずる危険があることは否定できないから、右の調査・研究を継続するとともに、副作用の有無・内容に関する情報の収集を行い、副作用の存在に疑惑が生じたときは更に調査・研究をし、また、同種の医薬品を製造・販売する製薬会社と情報交換等を行って、当該医薬品の副作用の種類・程度についてより正確な認識・予見に努め、当該医薬品の有用性と予測される副作用の内容等を比較考量して、医薬品の副作用による被害の発生を防止するために必要にして十分な措置(具体的には医師や一般使用者に対する副作用の警告、適応症や適応量などの用法の規制、当該医薬品の製造・販売の停止ないし回収等が考えられる。)を検討し、被害の発生を回避するために適切な措置をとらなければならない。

第四被告武田の負うべき責任について

被告武田は、キノホルム剤を製造しておらず、単に中間販売者たる地位にあったにすぎないから、製造業者と同一の注意義務を負うものではないと主張するので検討する。

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

被告武田の前身である武田長兵衛商店は、大正三年ころ、被告チバ(当時はスイス・バーゼル化学工業株式会社)の関西における新薬の特約店となり、大正一一年、わが国におけるチバ新薬の総代理店販売元となった。

武田長兵衛商店は、昭和一三年、バーゼルのチバ本社からヴィオフォルムその他二、三の製品の製造権の移譲を受け、わが国内の原料を使用して同店の製造工場において国産品として製造・供給を始めた。更に、昭和二八年以降昭和三六年四月ころまでの間、自ら製造の許可を受けた上で、スイス・チバ社より輸入されたエンテロ・ヴィオフォルム原末を受託加工(打錠・小分け)して、キノホルム剤の製造を行っていた。

被告武田は、昭和二八年三月三一日、被告チバ(その前身であるチバ薬品株式会社)との間で一手供給契約を締結し、同契約は昭和三三年三月一日付で若干修正されたが、本質的な内容の変更はなかった。右契約の主な内容は、被告武田は被告チバの医薬品の一手配給人となり、同医薬品の日本における最大の配給を確保すべく力量の範囲でできる限りのことを行うものとすること、被告チバは医師及び薬剤師向けのすべての資料・文献を作成、配布し、自己の費用・責任においてすべての販売・販売促進業務を実施すること、被告武田は原則として販売された全製品の正味卸向価格から顧客への五パーセントの割戻しを差し引いた額につき、17.5パーセントの配給人としての手数料を受け取ることなどを内容とする。

そして、被告武田は、右契約に基づきわが国における最大手の製薬会社として昭和三六年四月ころまでは自己の製造にかかるキノホルム剤を、その後は被告チバの製造にかかるキノホルム剤及びその他の製品を国内の約一三〇の卸店を通じて一手に販売してきており、被告武田の販売にかかるキノホルム剤の能書には製造者として被告チバの社名が挙げられるとともに、自ら販売者として「販売武田薬品工業株式会社」との表示がなされていた。

これらの事実に鑑みれば、被告武田は、自らキノホルム剤の製造者であった時期があったばかりでなく、被告チバとの密接な提携のもとに、同被告製造のキノホルム剤をその能書に自社を販売者として表示の上、自社の販売網を使って独占的に販売し利潤をあげてきたものであるから、被告武田を単なる小売商人的立場にあるものとみることはできず、結局、被告武田は、医薬品という人の生命、身体に危害を与える危険を有する商品を販売元として製造者に代わって一手に販売して利潤をあげてきたものであるから、被告武田も被告チバ同様前記の責任を負うというべきである。

第五予見可能性

一予見の対象及び基準時

そこで、被告会社らにキノホルム剤によりスモンというような重篤な健康被害が発生することを予見できたか否かを検討する。

ところで、原告は、被告会社らの予見の対象について、「人体に対する無視しえない危害」で足りると主張している。しかし、医薬品は人体にとって異物であり、使用方法を誤れば、たとえどのように良い薬であっても毒でしかなく、副作用が生ずることは自明のことであり、予見の対象を「人体に対する無視しえない危害」としたのでは、その内容が余りにも漠然としており、被告会社らの責任範囲を合理的に画する基準になるとは考えられない。しかし、他方、医薬品による副作用の発生の機序には本来的に未知の要素が介在しており、これを無視して副作用というものを考えることはできないにもかかわらず、これを考慮に入れずに、例えば具体的な「スモン」という疾病そのものを予見の対象としてしまうと、今度は逆に具体的な障害そのものを予見することはできなかったという製薬会社の主張を容易に受け入れることになり、医薬品の安全性が十分に担保されないという事態にもなりかねない。スモンが、臨床症状、病理所見のいずれにおいても、神経障害を特色とするものであることを考えれば、「神経障害」の発生を予見できれば、「スモン」そのものでなくとも足りると考える。また、原告がキノホルム剤を服用したのは昭和四四年一二月から同四五年一月にかけてであるから、予見可能性の基準時は昭和四四年一一月末に設定して、以下考察を進めることとする。

二キノホルム及び類縁化合物の副作用等についての文献・報告

後掲各証拠によれば、昭和四四年一一月末までにキノホルム及び類縁化合物の副作用等については、次のような文献・報告があった。

1 キノホルムのヒトに対する神経障害に関する報告

(一) P・B・グラヴィッツは、昭和一〇年(一九三五年)、ラ・セマーナ・メディカ誌四二巻七号五二五頁に掲載された「アメーバ症の治療における新しい方向」と題する論文の中で、ヴィオフォルムの主な副作用は便秘であり、便秘の結果として鼓腸が起きる、いくつかの症例では激痛を伴った結腸炎の発作、嘔吐を伴った胃の発作が観察され、アメーバ症の治療のためヴィオフォルムを0.5グラムずつ一日三回三〇日間投与した一五三の症例のうち一例において横断性脊髄炎に似た下肢の麻痺症状及び精神聾の発現を観察できたと報告している(〈書証番号略〉)。

(二) E・バロスは、昭和一〇年(一九三五年)、ラ・セマーナ・メディカ誌四二巻一二号九〇七頁に掲載された「増えゆくアメーバ」と題する論文の中で、P・B・グラヴィッツが先に触れた一五三の症例の中から重要なものとして次の二つの症例を報告している。第一は三一歳の婦人の例で、一包にヴィオフォルム0.5グラムが入ったオブラート包を一日三包ずつ投与したところ、三日後に胃痛、嘔吐及び頭痛、少し後に足のしびれが出現し、その後ヴィオフォルム投与の中断・再開を数回繰り返したが、中断しても異常知覚が残り、再開によって下肢の知覚及び運動障害は増悪し、足を引きずりながら壁を伝い歩き、数回床に転倒するまでに至った。処方された全量を服用した後、少しずつ下肢の弛緩は消失し、一〇日後には著しい痙攣性の歩行ができるようになった。その後一か月程して著者自身が診察したところ、痛感減退及び両下肢の腱反射亢進両足及び両膝のクローヌス、バビンスキー高度陽性を認め、更に、少ししてから拘縮を認めた。この症例は著者から製薬会社に伝えられた。感染的因子などは否定される。もう一例は四五歳の男性の症例であり、右の婦人と同様の治療を受け、不全対麻痺及び糖尿を伴う類似の知覚異常が発現したと報告した(〈書証番号略〉)。

(三) 水間圭祐らは、昭和三五年(一九六〇年)、日本皮膚科学会雑誌七〇巻七五三頁に掲載された「Acroder-matitis enteropathicaの知見補遺」と題する報告の中で、腸性末端皮膚炎に罹患した四歳の女児に初診時よりエンテロ・ヴィオフォルムを内服させたところ、一年後に軽快したが、その間不全麻痺性歩行と視神経萎縮による視力障害を来したと報告した(〈書証番号略〉)。

(四) L・M・ゴルツらは、昭和三九年(一九六四年)、アメリカ熱帯医学衛生学雑誌一三巻三九六頁に掲載された「ヨードクロールハイドロキシキンによるアメーバ症及び細菌性赤痢の予防並びに治療」と題する報告の中でキノホルム剤を長期にわたって投与された約四〇〇〇人の患者のうち二〇人にある種の異常な歩様変化を示したものがあったと報告した(〈書証番号略〉)。

2 キノホルムのヒトに対する1以外の副作用

(一) H・H・アンダーソンらは、昭和九年(一九三四年)、アメリカ熱帯医学雑誌一四巻二六九頁に掲載された「抗アメーバ剤の副作用」と題する論文の中でヴィオフォルムを経口投与した六〇例中三例に副作用が出現し、一例は心悸亢進、呼吸困難、頭重感及び頭痛が起こり、他の二例では悪心と嘔吐が起こったと報告している(〈書証番号略〉)。

(二) 徳山康秀は、昭和一一年(一九三六年)、治療学雑誌六巻九三頁に掲載された「腸疾患とヴィオフォルム」と題する論文の中でヴィオフォルムの服用後、稀に胃部膨満感と軽度の灼熱感及び食欲不振を訴える者があると述べている(〈書証番号略〉)。

(三) N・A・デイヴィッドは、昭和二〇年(一九四五年)、アメリカ医師会雑誌一二九巻五七二頁に掲載された「経口殺アメーバ剤の無規制な使用」と題する論文の中で、キニオフォン、ヴィオフォルム、ジョードキン等の殺アメーバ剤はもともと毒性があり、予期せぬ副作用を生ぜしめることがあるとして、「(1)治療は一〇日ないし一四日の短期間に制限すべきである。(2)別の治療コースを始めるときは、二、三週間の休薬期間を置き、糞便がアメーバ陽性であることを確認しなければならない。(3)ヨウ素含有化合物のヴィオフォルム等は、肝障害又はその疑いのある患者や薬物過敏性を有することが判っている患者には禁忌である。(4)これら薬剤のいずれをも非アメーバ性下痢の治療に対しては経験的に使用すべきではない。」と警告した(〈書証番号略〉)。

3 キノホルム剤による動物の神経障害に関する情報

(一) M・J・ホーグは、昭和九年(一九三四年)、アメリカ医師会雑誌一四巻四四三頁に掲載された「抗アメーバ薬の組織培養細胞に対する作用についての研究補遺」と題する論文の中で、鶏胚から得た消化管の培養組織に対するヴィオフォルムの作用を実験し、一〇〇〇分の一の希釈液で半時間作用させたところ、翌日、神経と大部分の線維芽細胞が死滅し、五万分の一の希釈液で翌日、ほとんどすべてが死滅したと報告した(〈書証番号略〉)。

(二) アレマンらは、昭和一四年(一九三九年)、スイス・チバ社において、「サパミン及びヴィオフォルムの合剤(エンテロ・ヴィオフォルム)に関する研究」と題する実験報告をし、その中でキノホルム剤の服用実験をした数匹の猫において痙攣、振頸、よろめき歩き、動揺性歩行、呼吸促進等の症状が発現したと報告している(〈書証番号略〉)。

(三) ペルモンらは、昭和一九年(一九四四年)、スイス・チバ社において、「ウサギに対する各種のブロムクロールオキシキノリン及びエンテロ・ヴィオフォルム製剤の毒性」と題する実験報告をし、その中で右二製剤のウサギに対する中毒像に関して明白な相違は存在しない、外面的な中毒症状はただ稀にしか現れず、大抵麻痺症状として出現すると報告している(〈書証番号略〉)。

(四) トリポらは、昭和二七年(一九五二年)、スイス・チバ社において、「毎四半期品質検査・ウサギにおける経口的毒性の検査」と題する実験報告をし、その中でヴィオフォルムをウサギに投与したところ、数日後に食欲の減少及び全身の感覚鈍麻からなる中毒症状が出現したと述べている(〈書証番号略〉)。

4 キノホルムの類縁化合物のヒトまたは動物に対する神経障害の副作用に関する文献・報告

〈書証番号略〉を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

キノホルムと化学構造の類似した薬剤には、同じハロゲン化8ハイドロキシキノリン類に属するキニオフォン(商品名ヤトレン)、ブロムクロールオキシキノリン、キノホルムとキノリン核を持つ点で共通である8―アミノキノリン類のプラズモシド、プリマキン、パマキン、ペンタキン、イソペンタキン、同じく4―アミノキノリン類のクロロキンなどがある。ところで、これらの類縁化合物の副作用からキノホルムの副作用を予想しうるかを検討するに、一般に薬は非常に個別性の大きいもので、少しの化学構造の相違が薬理作用に強い影響を持つことがあり、薬の化学構造だけからはその薬理作用を十分に類推することができないこと、また、8―アミノキノリン類の神経毒性はキノリン核よりもその側鎖の配置と種類に依存するとの見解のあることが認められる。しかしながら、他方、薬の化学構造から薬理作用を類推できる場合があり、本件においてもアミノキノリン類の神経障害報告のみからキノホルムによる神経障害を予測することは困難であるが、少なくとも類似の副作用の発現を一応疑わしめるに足りる資料があると解するのが相当である。

そこで、キノホルムと類縁化合物のヒトまたは動物に対する神経障害の副作用に関する文献・報告を以下検討する。

(一) シューベルは、大正一四年(一九二四年)、クリニッシェ・ヴォッヘンシュリフト三巻八号三一八頁に掲載された「ヤトレンの毒物学について」と題する論文の中で、一〇〇〇分の四の濃度のヤトレン水溶液中にウグイを入れると三〇秒後に強い興奮が認められ、急速に麻痺状態となり、横向き及び仰向けの体位に移行した、また、カエルに対してヤトレンを大量投与したところ呼吸困難、呼吸停止、後肢の麻痺等が起こった、更にハツカネズミに対して致死量のヤトレンを皮下注射すると呼吸困難、運動失調及び四肢の麻痺を示したと報告した(〈書証番号略〉)。

(二) 昭和二一年(一九四六年)に刊行されたF・Y・ワイズローグル編の「抗マラリヤ薬の概要」中の8―アミノキノリン類の薬理についての項で、イヌにおいて二三種の8―アミノキノリン類により眼の瞬膜の麻痺と外斜視、瞳孔反射の損傷等の反応が生じた、8―アミノキノリン類の誘導体であるプラズモシドを投与したサルにおいて感覚過敏症、眼振症、瞳孔反射の消失、視力低下、歩行困難症、共同運動障害等、そして最終的に四肢の痙攣性麻痺などに至る一連の神経学的徴候を示したと報告された(〈書証番号略〉)。

(三) A・S・オルヴィングらは、昭和二三年(一九四八年)、ザ・ジャーナル・オヴ・クリニカル・インヴェスティゲーション二七巻二五頁に掲載された「三日熱マラリヤの再発率減少効果を有する治療薬ペンタキン」と題する論文の中で、イヌにペンタキンを大量投与すると強度の食欲不振、痩衰及び視覚交感神経支配の中枢障害に基づく眼麻痺をきたすと報告している(〈書証番号略〉)。

(四) A・S・オルヴィングらは、同年、同誌六〇頁に掲載された「クロロキンの慢性毒性に関する研究」と題する論文の中で被験者として志願した囚人達を対象にクロロキン投与実験をしたところ、毎日0.3グラムずつ七七日間、その後は一週に一度投与されたグループの半数に眼の焦点を近くの物から遠くの物へ迅速に移行させることに困難を覚えるという視力障害が起こったと報告している(〈書証番号略〉)。

(五) I・G・シュミットらは、昭和二三年(一九四八年)、ジャーナル・オヴ・ニューロパソロジー・アンド・エクスペリメンタル・ニューロロジー七巻四号三六八頁に掲載された「8―アミノキノリンの神経毒性・プラズモシドの投与によって惹起された赤毛ザルの中枢神経系統における障害」と題する論文の中で、プラズモシドを赤毛ザルに適当量投与したところ、極度の知覚過敏、眼球震盪、瞳孔反射の消失、めまい、運動失調、歩行困難等を生じ、また、しばしば斜視と明らかな視力の消失を惹起したと報告している(〈書証番号略〉)。

(六) I・G・シュミットらは、昭和二六年(一九五一年)、同誌一〇巻三号二三一頁に掲載された「8―アミノキノリン系化合物の神経毒性・Ⅲ・ペンタキン、イソペンタキン、プリマキン及びパマキンの赤毛ザルの中枢神経系への作用」と題する論文の中で、右四つの薬剤を赤毛ザルに投与した結果、共通して背側運動神経核や視索上核、蒡室核あるいはマイネルト交連に関連した細胞に障害を起こしたと報告している(〈書証番号略〉)。

(七) H・E・ホッブスらは、昭和三四年(一九五九年)、ランセット誌七一〇一号四七八頁に掲載された「クロロキン療法による網膜症」と題する論文の中で、クロロキン投与を受けた三症例において、いずれも毛細血管の狭小化、暗点視野、視野欠損等の眼障害が観察されたと報告している(〈書証番号略〉)。

5 キノホルムの生体内吸収に関する報告

(一) N・A・デイヴィッドらは、昭和八年(一九三三年)、アメリカ医師会雑誌一〇〇巻一六五八頁に掲載された「ヨードクロールハイドロキシキノリン(ヴィオフォルムN・N・R)によるアメーバ症の治療」と題する論文の中で、ヴィオフォルムは胃腸管からいくらか吸収され、一部尿中に排泄されると述べている(〈書証番号略〉)。

(二) 前同人らは、昭和一六年(一九四一年)、ザ・ジャーナル・オヴ・ザ・ファーマコロジー・アンド・エクスペリメンタル・セラピューティクス誌七二巻一一号に掲載された「ヴィオフォルムN・N・Rとジョードキン、動物での毒性と人間でのヨウ素吸収」と題する論文の中で、九名の正常な被検者に0.25グラムのヴィオフォルム・カプセルを一日三回、一〇日間投与したところ、血中ヨウ素量値の上昇によりヨウ素の吸収が起こったことが証明されたと述べている(〈書証番号略〉)。

(三) A・A・ナイトらは、昭和二四年(一九四九年)、アナルズ・オヴ・インターナル・メディシン三〇巻六号一一八〇頁に掲載された「アナヨジン、キニオフォン、ジョードキン及びヴィオフォルムのヒトにおけるヨウ素吸収の比較研究」と題する論文の中で、右の四種の薬剤をアメーバ症治療中の患者に与えて血中ヨウ素の測定を行ったところ、ヴィオフォルムが最大の吸収を示したと述べた(〈書証番号略〉)。

(四) W・T・ハスキンスらは、昭和二五年(一九五〇年)、アメリカ熱帯医学雑誌三〇巻五九九頁に掲載された「放射性ヨウ素によって測定したウサギでのジョードキン、ヴィオフォルム及びキニオフォンの生理的性質」と題する論文の中で、放射性ヨウ素を使って標識した右の三種の薬剤をウサギに経口及び静脈内に投与した後、ヨウ素の分布、吸収、排泄を測定した結果、ヴィオフォルムについては、同剤のヨウ素は、主として尿中に排泄されたこと及び投与後直ちに血中濃度が得られたことから腸管からの吸収は比較的早いに違いない、また、高い組織内ヨウ素濃度が認められず、高い血中濃度は持続時間が短く、尿中に現れるヨウ素は大部分結合状態であったので、同剤は体内で著しい分解なしにそのまま吸収され、排泄されるように思われるとの考察と結論を述べた(〈書証番号略〉)。

6 アメリカにおけるキノホルム剤の規制状況

アメリカ合衆国FDAは、昭和二九年(一九五四年)六月二四日付で、アメリカ・チバ(ニュージャージー)に対し書簡を発し、ヴィオフォルムは微生物によらない下痢に対してはおそらく無効であるが、大衆薬としてのチバのヴィオフォルムのラベルではいかなる単純性下痢にも有効ととられることもあるから、右のラベル表示の妥当性には疑問があるとの所見を示した。また、FDAの執行局行政監査課課長補佐ヤコウィッツは、一九六〇年(昭和三五年)八月一一日付でアメリカ・チバ社宛に、「最近、当局の医学顧問団は、ヨードクロルハイドロキシキン(キノホルム)製剤の位置付けにつき、更に検討を加えたが、この問題に関する再調査の結果、最近次のような公式見解を述べている。すなわち、ヨードクロルハイドロキシキンは、アメーバ赤痢の如き重症患者の治療の際の使用のために留保されるべきであって、一般大衆が『単純な下痢』の治療用に同剤を使用してよいとの確たる理由は何一つなく、下痢の治療用として他に害の少ない製剤が容易に入手できる以上特にしかりである、と。要するに当庁の医師団としては、ヨードクロルキシキン製剤は、要処方薬に限定されるべきであるとの意見である。」との内容の書簡を発し、その後、一連のアメリカ・チバ社との書簡のやりとりの中でヴィオフォルムが小児や乳児の下痢の治療に使用されることに憂慮の念を示すなどした結果、アメリカ・チバ社は一九六一年(昭和三六年)八月二二日、エンテロ・ヴィオフォルムはアメーバ赤痢にのみ使用されるべき旨のFDAの勧告を受諾した(〈書証番号略〉)。

アメリカで発行されているPDR(医家机上便覧)は、各種薬剤についての便覧として用いられてきたものであるが、ヨードクロルハイドロキシキン(キノホルム)製剤について、昭和三三年(一九五八年)から同三六年(一九六一年)版は作用及び適応……単純な感染性の下痢の治療並びにコクシジウム(球菌)、大腸菌及び赤痢群微生物の殺菌用。アメーバ赤痢の治療にも用いられる。投薬方法及び用量……成人につき、単純な感染性の下痢には一から三錠ずつ一日三回一〇日間裏急後重の消失次第、経口投与に浣腸を併用できる。八日間の休薬期間後、検便の結果が陰性であっても、更に一〇日間の治療を加える。子供に対する推奨用量……生後六か月まで一日四分の一から二分の一錠、六か月から一歳まで一日二分の一錠から一錠などと記載されていたのに対し、昭和三七年(一九六二年)から昭和四〇年(一九六五年)版では作用及び適応……アメーバ赤痢の治療に用いる。エンテロ・ヴィオフォルムは、アメーバ症による腸の痙攣、疝痛及びしぶり腹を速やかに緩解する。通常、下痢や疝痛は急速に軽減し、便も正常な外観に戻る。投薬方法及び用量……アメーバ赤痢、成人二から三錠・一日三回一〇日間、しぶり腹の消失次第、経口投与に浣腸を併用できる。八日間の休薬期間後、検便の結果が陰性であっても、更に一〇日間の治療を加えると記載が改められ、更に、昭和四二年(一九六七年)版では、作用及び適応……アメーバ症による腸の痙攣、疝痛及びしぶり腹を速やかに緩解する。通常、下痢や疝痛は急速に軽減し、便もすぐに正常な外観に戻る。警告……ヨード特異体質の患者に投与してはならない、投薬期間については前記と同様に記載され、キノホルム剤の適応をアメーバ症の治療に限定することが明らかになっていた(〈書証番号略〉)。

三結論

以上の事実を総合すれば、昭和四四年一一月末までの時点で、①キノホルム剤の投与によりヒトに神経障害を惹起したというグラヴィッツ、バロス及びゴルツの各報告並びに水間らの報告が存在したこと(特にバロスやゴルツの報告はキノホルムの副作用により重篤な神経障害を発現したと認められる信頼に値する報告と認められる。)、②キノホルムが動物に対しても神経障害を惹起させることを疑わせるホーグらの報告のほか、スイス・チバ社における一連の動物実験の報告が存在したこと、③更に、キノホルムの類縁化合物に起因するヒト及び動物での神経障害の出現を示唆する報告があったこと、④また、キノホルムの人体における神経障害以外の副作用報告及び生体内に吸収されるとの情報はいずれもそれのみでは右神経障害の予見を可能ならしめるものではないが、一般に薬理作用は多面性を持ち、しかも未知の部分も大きいこと、薬物は経口投与された後小腸から吸収されると、肝臓を経て心臓に送られ、全身の体循環に入ることに鑑みると、右副作用の報告及び吸収に関する情報は相まって、キノホルム剤による人体での神経障害の疑惑が存在する場合、その疑惑を補強する役割を果していたと認められるから、被告会社らがキノホルムの副作用によりヒトに神経障害が発現することの予見は十分可能であったと認めることができる。

なお、被告会社らは、キノホルムの有効性と安全性を報告する臨床報告や文献が多数存在し、日本及び世界の医学会、薬学会においてキノホルムに危険視すべき副作用がないとされてきたから、被告会社らが神経障害を中心とするキノホルムの副作用を予見できなかったとしてもやむを得ないとか、グラヴィッツ及びバロスの各報告はアルゼンチンでの報告で入手不能であったと主張している。しかし、キノホルム剤についてはその有効性と安全性を確認する報告が多数存在したことも認められる一方、前記のとおり副作用の危険性に触れた文献が存在しており、前者の方が多いからといって後者について留意せず、これを無視してよいという理由にはならないし、また、グラヴィッツの小文が昭和九年(一九三四年)のチバ時報六二号に「アメーバ赤痢に対する『ヴィオフォルム』の応用」と題して日本語で掲載されていること(〈書証番号略〉)、バロスが前記第一症例につき直接製薬会社に報告し同社から情報提供に感謝する旨の返答を得ていること、グラヴィッツ及びバロスの各報告は有力な国際語のひとつであるスペイン語で記されていることからすれば、被告会社らにおいて右文書の入手が困難であったとは認められない。

被告会社らは、前記のとおり昭和四四年一一月末の時点でキノホルム及びその類縁化合物の副作用等に関する文献・報告を入手してこれを調査することにより、キノホルムの副作用によりヒトに神経障害が発現することを十分に予見し得たと認められる。

第六結果回避義務違反

医薬品の有用性は、病気の予防、治療に対する有効性と副作用とを比較衡量して決められるべきものであるところ、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、①キノホルム剤は制瀉薬の一つとして下痢の治療に用いられたものであるが、下痢止めの薬は他にも相当多数存在するし、また、通常の下痢はそれ自体ではそれほど重篤なものとはいえないこと、②キノホルム剤は、アメーバ赤痢の治療に有効な抗アメーバ薬として内服されてきたものであり、アメーバ赤痢の治療薬としてはキノホルム剤等のキノリン誘導体のほか、吐根アルカロイド、有機ヒ素化合物、抗生物質等の化学療法剤があるが、アメーバ赤痢は、一般に全身症状は軽いが、往々にして慢性化しやすく、粘液血便の排出・不快な腹痛の症状の再発が相次いで起こり、適当な治療を加えない場合には患者は貧血・衰弱とともにしばしば高度の全身浮腫を起こして数か月後に死亡に至ることがあり、アメーバ赤痢患者の約三分の一は合併症として肝膿瘍を起こし、そのため悪寒戦慄、間歇熱を来し、適当な時期に切開しなければ腹腔・右側胸膜腔などが破れ、往々にして敗膿瘍、脳膿瘍を誘発することがあることが認められる。以上の事実に、昭和四四年一一月末の時点でキノホルム剤の副作用による神経障害発現の予見が可能であったという事実を併せて考慮すれば、右の時点以降におけるキノホルム剤の治療上の価値はアメーバ赤痢に限定した範囲内で肯認することができたというべきである。なお、前記のとおり、厚生省は、昭和四五年九月八日、キノホルム剤について販売中止等を内容とする行政措置をとり、その中でキノホルム剤に関して、後記のとおり、腸性末端皮膚炎等医療上本剤を使用することが特にやむを得ない場合は別途考慮するとの見解を示しているが、後記のとおり、被告会社らは、そもそも腸性末端皮膚炎をその適用症としてあげていないから、結果回避義務の関係では、腸性末端皮膚炎の位置付けを特に検討する必要はないと考える。

したがって、キノホルム剤の治療上の価値を考慮に入れた上で、昭和四四年一一月末以降、被告会社らにおいて、予見可能な神経障害作用の発現の結果を回避するためにとるべきであった措置の内容を検討すると、次のようになる。

すなわち、能書への記載、医師に対する書面や口頭での注意の伝達、マスコミによる報道等の手段を通じて、キノホルムの適応症がアメーバ症のみに限定され、他の疾病に使用してはならないことを医師及び一般使用者の間に周知徹底させ、併せてそれまでに明らかになったキノホルムによる神経障害の副作用の内容を明示した上、そのような副作用の徴候が出現した場合には直ちに投与ないし服用を中止するかどうかを検討しなければならない旨医師及び一般使用者に警告することである。

しかるに、〈書証番号略〉によれば、被告会社らは、原告が服用した強力メキサホルムに関し、その能書等で、①適応症……急性・非特異性下痢、慢性再発性下痢、夏季下痢、胃腸炎、腸炎、小腸大腸炎及び大腸炎、細菌性腸疾患、アメーバ性疾患、特にその慢性型、特に最近の報告によると、慢性の膨満感、鼓腸、便意亢進、便秘等にも優れた効果を示し、また、開腹術後のガス膨満の予防にも有効といわれている、②強力メキサホルムは優れた忍容性をもっている、副作用としては極めて稀に食思不振、悪心、眩暈、頭痛、蕁麻疹が認められたのみであるなどと唱い、適応症をアメーバ赤痢以外の疾患に広げ、かつ神経障害の副作用について何ら警告せぬまま、その製造等を行ったものであり、前記のとおり、原告は、その結果、アメーバ赤痢以外の疾患治療のために強力メキサホルムを投与を受け、スモンに罹患したことが認められるから、被告会社らの結果回避義務懈怠の責任は免れない。

第七結論

したがって、被告会社らは、キノホルム剤の製造・販売に際して同剤の安全性確保のために負わされた注意義務を懈怠した過失があり、右過失と相当因果関係のある原告のスモン被害について賠償する責任がある。

被告会社らの責任の関係について考えるに、被告チバと被告武田は前記認定のとおり、一体となってキノホルム剤を製造、販売していたと認められるから民法七一九条一項の共同不法行為者として連帯して責任を負うものと解する。

第五章被告国の責任

第一争いのない事実

次の事実は当事者間に争いがない。

一被告国は、公衆衛生の向上及び増進を図るために、厚生大臣をして薬事行政を担当させている。

二厚生大臣は、

1 昭和二六年三月、第六改正日本薬局方を公布してこれにキノホルムを収載し、次いで昭和三六年四月第七改正日本薬局方を公布してこれにキノホルムを収載し、昭和四六年四月まで日本薬局方に収載を続け、

2 請求原因第一、二に記載のキノホルム剤製造許可等一覧表記載のとおり、被告会社らのキノホルム剤の製造又は輸入にかかる許可又は承認申請に対し、それぞれ許可又は承認をし、以後昭和四五年九月まで何らの措置もとらなかった。

第二被告国の反射的利益論について

被告国は、国民が薬事法により受ける利益はいわゆる反射的利益にすぎないと主張するので検討する。

薬事法(昭和五四年法律第五六号による改正前のもの)は、憲法二五条一項の生存権保障規定を受けて、更に、これを発展させた憲法二五条二項の「国は、すべての生活部面について、……公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とする国の政治的責務の実現を図るために制定された法律の一つである。

ところで、薬事法は、右の「公衆衛生の向上及び増進」を達成するための法技術的手段として、直接個々の国民の衛生を対象としておらず、「医薬品……に関する事項を規制し、その適正をはかる」(一条)と規定しているように、医薬品という物質を中心としてその取り扱う関係業者等に対する各種規制(取締り)を通じて、公衆衛生すなわち国民の生命、健康の維持及び増進を図るという建前を採用していることからすると、被告国が、厚生大臣の行う医薬品の製造等の許可に関する処分により個々の個人が受ける利益は反射的利益にすぎないと主張するのも理解し得ないわけではない。しかし、薬事法の目的はあくまでも国民の生命、身体及び健康に対する危険を防止し、その維持・増進を図ることにあり、個々の国民なくしては真の意味での国民の生命、健康の増進及び維持を図るなどということはあり得ず、また、厚生大臣の承認・許可等の規制の下で現に流通している医薬品を使用しているのは個々の国民以外にあり得ないことなどを考慮すれば、薬事法に基づく医薬品の適正な規制によって個々の国民の受ける利益は単なる反射的な利益ではなく、国家賠償法上保護された法的利益に当たると解するのが相当である。

したがって、医薬品の副作用等により薬害が生じた場合、当該医薬品の製造、販売について製薬会社に過失責任が認められるときには第一次的には製薬会社がその損害を賠償すべきであるが、誤った規制(不作為を含む。以下、同様。)のもとに流通に置かれた医薬品を個々の国民が使用したことにより生命、健康が害された場合において、その規制の誤りが厚生大臣の故意、過失に基づく薬事法上の義務違反と評価されるものであるときは、その義務違反と生命・健康の侵害との間に相当因果関係が認められる限り、国は国家賠償法一条によりその被った損害を賠償する義務があるというべきである。

第三医薬品の安全性確保に関する厚生大臣の権限と責務について

一当事者の主張の要約

被告国は、公権力の行使に当たる公務員の行為が国家賠償法一条一項の適用上違法であると評価されるためには、その公務員が損害賠償を求めている当該国民に対し個別具体的な職務上の法的義務を負担し、かつ、当該行為が右職務上の法的義務に違背してなされた場合でなければならず、右職務上の法的義務は、単なる内部的な職務規律上の義務では足りず、公務員がその行為規範として個別の国民に対して負う職務上の義務でなければならないと主張する。国家賠償法上の違法をこのように捉えるべきものとすると、規制権限の行使・不行使に係る当該公務員の職務上の法的義務は、基本的にその規制権限を規定する根拠法規に求められるべきであるから、本件で問題となっている厚生大臣の規制権限の不行使が国家賠償法上違法となるかどうかは、厚生大臣の右規制権限の行使・不行使の過程における行為(作為・不作為)が右規制権限の根拠となる法令の定めに違背しているかどうかに帰することになる。

原告は、薬事法は、厚生大臣に、医薬品の製造等の承認・許可をするに当たり、医薬品の安全性確保のための調査義務及び調査権があり、医薬品の製造等が開始された後においても、同様の調査義務等があると主張する。しかし、被告国は、昭和三五年薬事法は、「医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的」とするものであって(一条)、薬事行政の目的は適正な医薬品の供給を通じて公衆衛生の増進を図ることにあり、薬事法の基本的性格は、薬事法制の沿革、薬事法の具体的な内容等からみて、衛生警察法規で、警察取締法規としての性格を有するものであり、厚生大臣には、単に医薬品についてその性状及び品質を確保し、不良医薬品を取り締まる見地から消極的な取締規制権限を付与したにすぎず、医薬品の安全性確保に関し、厚生大臣の具体的権限及び責務を定めた明文の規定は全くないから、薬事法上厚生大臣に医薬品の安全性を調査する義務も権限もなく、また、一旦行った医薬品の製造等の承認を取り消す場合、かかる授益的行政行為を権限で取り消すには、相手方の信頼や法的安定性が不当に害されることがないような手続が保障されていなければならないはずであるところ、薬事法にはそのような手続を定めた規定も全くないから、厚生大臣に製造等の承認・許可後に医薬品の安全性確保のための規制権限が存在しなかったことは明らかであると主張する。

二厚生大臣の責務

確かに、被告国の主張するとおり、昭和五四年改正以前の薬事法には、薬事法の目的として「医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具に関する事項を規制し、その適正を図ることを目的」とする旨規定されており、厚生大臣の医薬品の安全性確保のための規制権限を定めた条文はないのに対し、昭和五四年法律第五六号による改正後の薬事法には、「医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具に関する事項を規制し、その適正を図ることを目的とし、もってこれらの品質、有効性及び安全性を確保することを目的とする。」と改められ、この目的を実現するため、医薬品等の製造の承認の際の審査事項として新たに「性能」、「副作用」を加え(一四条二項本文)、かつ、申請医薬品がその効能、効果または性能に比して著しく有害な作用を有することにより医薬品としての使用価値がないときには製造承認を与えないこととし(一四条二項二号)、右製造承認に際しては申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならないことを明記したこと(一四条三項)、また、新医薬品の再審査、医薬品の再評価の規定を設け(一四条の二、三)、製造承認後においても医薬品の安全性の確保を図ることとしたこと、さらに、厚生大臣は、緊急命令として、医薬品等による保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するため必要があると認めるときは、医薬品等の製造、販売業者等に対し、医薬品等の販売又は授与を一時停止することその他保健衛生上の危害の発生又は拡大を防止するための応急の措置を採るべきを命ずることができること(六九条の二)、並びに医薬品が一四条二項各号のいずれかに該当するに至ったと認めるときは、製造承認を取り消さなければならないこと(七四条の二)を定め、それまで明文の規定のなかった厚生大臣の医薬品の安全性確保のための規制権限を初めて規定したことが認められ、右薬事法改正の経過に照らせば、昭和五四年改正前の薬事法は、厚生大臣に医薬品の安全性確保のため明文上の権限を付与していなかったものである。

しかし、以下に指摘するような点を考慮すれば、昭和五四年改正前の薬事法も、医薬品による副作用等から国民の健康を守るために厚生大臣に医薬品の安全性確保のための権限を付与していたとみるべきである。

第一に、憲法は、その前文で「……そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである」と宣言するとともに、同法一三条において、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定め、更に、同法二五条において「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しており、昭和二三年公布の旧薬事法以後は、右憲法の規定を受け、国が国民の生命、健康を保持するため公衆衛生の向上及び増進に努めるべき責務を負ったことを受けて規定されたものであり、医薬品がまさに人の生命、健康に直接関わりを持つことを考えると、薬事に関する基本法たる薬事法は右憲法の規定を尊重して解釈・運用されなければならず、また、昭和五四年法律第五六号により改正された薬事法の規定は従来不明確であった薬事法に基づく厚生大臣の医薬品の安全確保義務を確認した規定とみるべきである。

第二に、医薬品、中でも合成化学医薬品は、本来生体にとって異物であって、有用な作用を有する反面、有害な作用を伴う危険性がある「両刃の剣」のような性質を持つものであり、いかに開発の段階で十分な動物実験や臨床試験等を実施したとしても予期せぬ副作用が生ずることがあるし、また、いかに有用な薬であっても、薬の選び方、使い方、使用量を誤れば毒でしかないという危険な性格を持つものであるが、国民の側では医薬品の安全性を審査する能力も術もないところ、医薬品の安全性に関する審査を利潤追求を目的とする私企業である製薬会社に任せておいたのでは必ずしも十分な審査ができず、国民の生命、健康の維持増進が図れない。

第三に、本件と直接関連する昭和五四年改正前の薬事法の下において、①公定書に収載されていない医薬品を製造しようとする場合、厚生大臣の承認を受けなければならず、その際に必要に応じ中央薬事審議会に諮問すること、製造承認にあたっては当該製造品目の名称、成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査して承認の可否を決定すること(三条一項、一四条一項)、医薬品の輸入販売業者については製造業者の規定を準用することとされ、②公定書については、厚生大臣は医薬品の性状及び品質の適正を図るため、中央薬事審議会の意見を聞いて日本薬局方を定めるものとし、公定書に収載された医薬品については、性状又は品質が公定書で定める基準に達していないものの製造等を禁止する(四一条一項、五六条一項)などの規制をしているが、医薬品が「両刃の剣」的性質をもつことからすると、副作用の検討を行わずに医薬品の有用性を決定することはできず、用法や効果等を審査する過程には当然に副作用の検討も含まれるはずである。

第四に、厚生省は、いわゆるサリドマイド事件において昭和三六年(一九六一年)一一月、レンツ博士によって四肢奇形の原因が睡眠薬にあるのではないかとの指摘がなされ、当時の西ドイツにおいては同年一一月から一二月にかけて発売停止、回収等の措置が取られていたにもかかわらず、我が国では翌昭和三七年二月に至っても製造承認をし続けたばかりか、同年九月まで販売を続けていたことにより未曾有の薬害事件が発生したことを受けて、昭和三八年三月八日には中央薬事審議会内に「医薬品安全対策特別部会」を設け、また、同年四月以降すべての新医薬品の承認に当たり、従来の基礎実験資料に加え、当該医薬品の胎児に及ぼす影響を考慮するため動物実験の成績を提出させるようにしたこと、更に、昭和四二年九月にはいわゆる「医薬品の製造承認等に関する基本方針」が定められ、これにより新医薬品の製造承認申請の際に添付する必要のある資料内容の詳細が定められるとともに、新医薬品についてその製造承認を得た者は、同法七九条による許可条件として承認後少なくとも二年間当該医薬品の使用の結果生じたと見られる副作用に関する情報の収集とその報告を義務づけていた。また、厚生省は、昭和二五年七月四日、製薬会社四五社から申請されていた結核薬チビオンについて、許可を保留し、同年九月二日、薬務局長名で製薬会社に対し「チビオンは現在のところ、医薬品としてその価値を決定するには毒性その他についてなお疑問があり、純度、毒性並びに抗菌力につき今一層の検討を必要とするので製造許可については極めて慎重な扱いを要するものであるから、本品を試験製造区域を超えて生産することのないよう厳に要望する」との通告をなし、同日都道府県知事に対し、右試験及び配付に関する報告の徴収方を求め、また、国立予防衛生試験場に対しては、毒性試験の依頼をしているほか、被告国自ら症例の調査まで行っており、更に、昭和四〇年五月一一日にはアンプル入り風邪薬、昭和四一年三月一二日にはナファゾリン又はその塩類を含有する点眼剤、昭和四四年七月二三日にはアミノ塩化第二水銀について、製造もしくは販売を差し止めるなどの措置をとってきており、特にアミノ塩化第二水銀に関しては、「今後製造承認を与えない。製造を可及的すみやかに中止させることとし、かつ遅くとも昭和四四年八月三一日までに薬事法一四条一項の製造承認の申請、一八条の製造品目変更許可申請、または当該品目について一九条の製造品目廃止の届出を行わせる。業者が自主的にこれらの措置を講じないときには、当該品目について製造承認及び許可の取消処分を行う」旨の措置をとるなど、現に医薬品の安全性の確保に向けた薬事行政を行ってきており、これらの薬事行政は、いずれも薬事法に基づいたものと認められる(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。

三具体的な義務の内容

厚生大臣が医薬品の製造承認等にあたって負う注意義務の具体的内容は次のとおりである。

すなわち、医薬品の製造承認にあたり、厚生大臣は、医薬品の成分、分量、用法、用量、効能、効果等を審査し、その有効性と安全性を比較衡量してその有用性を判定し、その際当該医薬品が人の生命・健康に対してもたらす影響、特に副作用の種類・程度を認識・予見すべきことになるが、右判定はその時点における医学、薬学等関連諸科学の最高の学問、技術水準に達した知見に基づいてなされなければならない。そして、その基礎となる知見の取得については、基本的には、前述したとおり、医薬品の安全性についてはその時点における医学、薬学等関連諸科学の最高の学問、技術水準に達した知見に基づいて調査を尽くさなければならない製薬会社にこれを提出させるべきであり、また、審査を通すために自己に不利な実験結果の提出をためらうことも十分に考えられるから、不利な情報の提出をも積極的に働きかけるべきであるし、また、資料が不足しているものがあると考えるときには製薬会社に収集調査を促すべきであるし、サリドマイドの教訓を生かす意味からも、諸外国における規制の状況については必ず資料の提出を求め、被告国自らも必要があるときには補充的に調査を行うべきである。また、厚生大臣は、一旦医薬品の製造承認をした後においても、医薬品の副作用というものは臨床使用を重ねた後に判明するものも少なくないし、医学、薬学等の進歩を薬事行政に反映させる意味からも、上記の資料を提出するよう申請者である製薬会社に働きかけ、医薬品の安全性を確保する義務を負う。そして、厚生大臣において、医薬品の副作用による被害の発生が認識、予見された場合には、被害の発生を未然に防止するため、厚生大臣は有用性との対比において適応症、用法、用量等を限定したり、副作用の警告を発して医師や使用者に対して注意を発したり、これによって賄うことができない場合には製造承認の取消し等の措置を採るべきである。

四承認の取消し等について

なお、右の点に関連して、被告国は、医薬品の製造承認を行えば、製薬会社は巨大な資本等を投資して医薬品の製造を始めるのであり、かかる授益的行政行為を取り消すには、法律による行政の観点からしても手続規定が設けられている必要があるところ、昭和五四年改正前の薬事法に承認の取消しを予定した規定すらないから、厚生大臣に承認取消しの権限はないなどと主張する。

しかしながら、医薬品の副作用というものは、その性質上、当該医薬品に本来内在していたものであり、ただそれが後になって明らかになったというにすぎないから、事後的に有用性が否定される場合は、取りも直さず不承認事由、すなわち承認の違法事由が事後的に発見されることに帰し、これを理由に承認を職権で取り消し、または撤回することができるものと解するのが相当である。

ところで、そもそも医薬品というものは、その特性上、常に未知の副作用の発現する危険を伴っており、それに伴い、医薬品の評価も変遷することが高度に予測されるものであって、薬事法がかかる医薬品を規制の対象としている以上、厚生大臣に対し、過去の時点における判断及び評価に安住することなく、その時代その時代における科学的知見に応じた薬事行政を行うよう期待しているものというべきであること、確かに一旦承認を行った医薬品について承認の取消しを行うことは、製造業者等の営業の自由を制約することにはなるが、医薬品というものは人間が直接用いるものであって、また、医薬品が大量に生産され、消費されている現実に鑑みれば、医薬品の副作用により国民の生命、健康に対する危険が顕在化したような場合、営業活動の自由も譲歩を強いられてもやむを得ないところであることなどを考えれば、厚生大臣が医薬品の製造等の承認は条件付きで行っているとみてもよく、製造等の承認の権限がある以上、当然に取消し又は撤回の権限があり、場合によっては承認に条件を付することもできるというべきである。

五国家賠償責任の成立

そこで、本件において、厚生大臣に薬事法上の医薬品安全確保義務に懈怠があったといえるかどうかであるが、以下のとおり、本件に関し被告国は単に被告会社らの申請したキノホルム剤について製造等の承認等をなしただけではなく、わが国におけるキノホルム剤の開発に密接にかかわっていたものであり、被告国の責任を考える場合には、かかる被告国の行為が本件被害の発生を招いた一つの原因となっていることも、十分に考慮しなければならないと考える。

すなわち、〈書証番号略〉によれば、キノホルムは、大正一一年一二月、帝国陸軍医務局長承認治療薬の取扱いを受け、軍部においては防腐消毒剤ヨードホルムに優る医薬品として、大正一三年陸軍軍医学校で試製が試みられたほか、昭和初年には同じく陸軍軍医学校の石福覚治らによって試製がなされていること、さらに、これらのあとを受け、内務省東京衛生試験所において昭和一〇年半ばころからキノホルム剤の合成についての研究が開始され、昭和一二年同衛生試験所技師である篠崎好三らがパラジクロールベンゾールを出発原料とする新合成法の開発に成功し、その製法特許を得て国産化がされたこと、その後キノホルム剤の特許権が民間に払い下げられたこと、キノホルムは昭和一一年に内務省令第一九号により劇薬に指定されたにもかかわらず、そのわずか三年後である昭和一四年に厚生省令第三六号をもって劇薬の指定が解除されたが、H・H・アンダーソンらにより昭和六年(一九三一年)に実験生物医学界雑誌二八巻に掲載された「生物学的作用に対するオキシキノリンのハロゲン化の影響」と題する論文の中でヴィオフォルム二〇〇mg/kgをモルモットに投与したところ、一〇匹中七匹が死亡したと報告したのを初めとして、デイヴィッドらの報告、スイス・チバ社の動物の実験の結果などでも、いずれもキノホルムの動物における経口致死量が三〇〇mg/kg以下であるとのデータが示されていることに照らして、劇薬の指定を解除する合理的理由がないのに行われたことが認められる。

このように被告国は、自らキノホルムの製造法を開発して実際にその製造・販売を行い、戦後は民間企業にキノホルムの製造・販売の途を開いたものであり、また、キノホルムを一旦劇薬と指定しておきながら、首肯するに足りる理由もないまま同指定の解除を行った経過があった。

そして、被告国は昭和四四年当時キノホルム剤の危険性について前記第四章で指摘のとおり、昭和四四年一一月末までの時点でキノホルム剤の副作用に関してバロスやグラヴィッツ、ゴルツの報告があり、また、アメリカ合衆国においてはFDAがキノホルムの適応をアメーバ赤痢に限定するようアメリカ・チバ社に勧告し、同社も昭和三六年(一九六一年)八月二二日までに右勧告を受諾していたこと(なお、右に関連して、被告国は、右FDAの勧告は、有用性に疑問があるという観点に立ったもので、安全性に問題があるとして行われたものではないなどと主張し、〈書証番号略〉を提出している。しかし、そもそも、医薬品の性格からして副作用の点を考慮せずに医薬品の有用性を決定することはできないこと、当時のFDAとアメリカ・チバ社の書簡のやりとりを見れば、FDAがキノホルム剤の安全性について憂慮の念を示していることは明らかであり、右の主張は採用することができない。)などに照らせば、厚生大臣は昭和四四年一一月末までの時点でキノホルム剤の副作用によりヒトに神経障害が発現することを認識し得たといわなければならない。

そうすると、厚生大臣がキノホルム剤の前記の危険な副作用を予見して、被告会社らが製造等を行うキノホルム剤について、その適応をアメーバ赤痢に限定するとともに、前記の副作用の危険があることを医師をはじめ使用者に警告するなど適切な措置をとっていれば、原告にスモンによる損害は生じなかったと認めることができるから、被告国は、原告に対し国家賠償責任を負わなければならないものと考える。

なお、被告国は、薬事法上厚生大臣に医薬品について何らかの安全確保義務を認める余地があるとしても、権限の行使、不行使については、厚生大臣の自由裁量に委ねられており、厚生大臣の権限の行使、不行使をもって直ちに国家賠償法上違法ということはできないなどと主張している。しかし、本件においては、前記のとおり、厚生大臣において、広く投与されていた胃腸薬であったキノホルム剤により神経障害を中核とする重大な健康被害の発生する危険が迫っていたことを容易に認識し得たものであり、厚生大臣が権限を行使すれば右の危険の発生を容易に防止できたというべきであるから、このような時に規制権限を行使しないことは著しく不合理であり、厚生大臣には右権限を行使すべき作為義務が発生していたというべきである。

六被告国の責任と被告会社らの責任の関係

前記のとおり、医薬品の副作用により人に健康被害が発生した場合において、当該医薬品の製造、販売等を行った製薬会社に過失責任を認めることができる場合、医薬品について安全性を確保するべき第一次的責任を、医薬品の製造、販売等を行った製薬会社が負担すべきことはいうまでもないところであり、被告会社らと被告国の間の責任の内部的な負担関係を考えた場合には、被告国の内部的な負担部分はないというべきである。しかし、被害者である原告に対する関係でみれば、被告会社ら及び被告国の各不法行為によって生じた原告の損害は同一のものであるから、これらの者が負担する損害賠償債務は不真正連帯債務の関係にあるとみるべきである。

第六章損害

第一損害に対する考え方

本来、不法行為に基づく損害賠償の制度は、加害行為と相当因果関係が認められる被害者個々人が現に被った損害を加害者に賠償させて当事者間の公平を図る制度であり、また、損害賠償請求訴訟において損害の賠償を請求する者は、相手方が具体的に防御することが可能な程度に損害の内容を主張、立証することが必要であり、包括的な慰謝料請求を行うことは相当ではない。しかし、本件はスモンという広範な被害者を出した薬害にかかる事件であり、その被害者の数は膨大なものであって、各被害者の個別的な損害の主張、立証を要求をしていたのでは多数の被害者の迅速な救済に資さないこと、また、本件がキノホルムという薬剤を服用したことによる健康被害であって、発症経過や態様、症状の軽重に個人差があることは否定できないものの、神経障害を中心とした健康被害には共通するところが多く、また、スモンが原因不明の奇病として社会に喧伝されたり、ウイルス説が唱えられるなどして患者が被った社会的、経済的な不利益についても多くの共通性が認められること、原告が請求を拡張するのならいざ知らず、将来、別訴という形で財産上の請求をすることは事実上不可能であること等を考慮すると、本件のような場合には包括的な慰謝料の請求という形で精神的苦痛のみならず、経済的その他の損害を包括して請求することも許されるというべきである。

よって、本件においては、原告のスモン罹患時から本件口頭弁論終結時までの事情を考慮して、右終結時における全損害を包括して損害額を算定することとする。これにより右損害に対する遅延損害金の起算日は本件口頭弁論終結の日の翌日となる。

第二被害の実情等

〈書証番号略〉、第二章第二の個別的因果関係の項で掲げた証拠、弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

原告は、第二章第二の個別的因果関係の項で記載したとおり、胃潰瘍、過敏性大腸炎の治療のために服用したキノホルム剤により根本的な治療方法が確立されていないスモンに罹患し、症度Ⅰ度と認定されており、下肢のしびれ、冷感、足に餅がくっついたような感じ、冷感等に苦しめられ、歩行に困難を来たしたり、視力の低下や下痢、腹痛などに見舞われたものであり、その肉体的苦痛には計り知れないものがある。また、原告は、昭和一二年五月二〇日生であり、一児(昭和四一年四月生)の母であり一家の主婦であるとともに、音楽担当の教師として希望に燃えた生活を送っていたにもかかわらず、かかるスモンに罹患したことにより、就業に著しい支障を来たすとともに、治療等のために多額の出費を余儀無くされただけでなく、家族が被った有形、無形の負担も少なくないものがある。また、スモンの原因がウイルスにあるなどといわれたことにより精神的苦痛も受けた。現在代理人はついていないものの、当初は本件訴訟を弁護士に委任し、着手金等の支払いを余儀無くされた。

なお、スモン事件に関しては、各地で集団訴訟が提起されたが、昭和五四年九月一五日、東京地方裁判所において、被告らと患者らの一部の間で確認書を取り交わす形で和解が成立しており(判例時報九五〇号三三八頁参照)、その後各地の裁判所で右確認書に則した形で殆どの患者と被告国及び製薬会社との間で和解が成立し、問題の解決を見ている。右確認書の損害額に関する要旨は、①基準金額を症度「Ⅰ度」については一〇〇〇万円とし、②年齢による加算として、発病時に三〇歳以上五〇歳未満の者は、それぞれの症度による基準額に一〇パーセントを加算し、③主婦加算として、発病時に乳幼児ないし義務教育就学中の子女を有した主婦については症度Ⅲ度ないしⅠ度を通じて、各基準額に一〇パーセントを加算し、④弁護士費用として、昭和五二年七月一九日までの提訴分については①ないし③の合計額に7.5パーセントを乗じた額とし、⑤健康管理手当として一月三万円を患者の生存中支払う、右手当は総理府の作成する年度平均の全国消費者物価指数にスライドさせるというものである。

第三損害額算定の基準

前記のとおり、スモンの被害には共通するところが多いことや本件が集団訴訟として包括慰謝料請求の形で提起されたものであって、キノホルム剤により被害を受けたスモン患者の大部分はほぼ同一の基準で救済を受けていることに鑑みれば、公平の見地からして本件で原告の慰謝料を算定するにあたり、前記確認書の内容を無視することはできないというべきである。したがって、基本的には前記の確認書の基準に従うべきであると考えるが、既に確認書が取り交わされてから一五年近くが経過しており、原告が和解を拒絶して一人裁判を続け、本件判決を受けるに至ったとはいえ、この間の利息相当分や受領し得たであろう健康管理手当について配慮する必要があるというべきである。

第四損害額

以上の事実に鑑み、原告の本件口頭弁論終結時における損害額(弁護士費用を含む。)は、これを二九〇〇万円とするのが相当である。

第七章被告会社らの時効の主張について

被告会社らは、原告は、昭和四九年一月一七日ころ、権平医師より同日を作成日付とする「病状記録」と題する書面の交付を受けており、同書面には「スモン病と判明した日 昭和四五年四月一〇日、強力メキサホルム一日六錠、昭和四四年一二月一七日以来約一か月余連用」なることが記載されており、これは、原告が昭和四九年一月一七日の時点で損害及び加害者を知っていたことを裏付けるものであり、被告会社らは時効期間の経過により原告の損害賠償請求権は消滅した旨主張するので検討する。

民法七二四条前段は、不法行為による損害賠償請求権は被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知ったときから三年間行使しないときは時効により消滅する旨規定し、不法行為に基づく損害賠償請求権について、通常の債権と比べて短い時効期間を定めている。民法が不法行為に基づく損害賠償請求権について右のような短期の消滅時効の規定を設けた趣旨については、次のように考えるべきである。すなわち、不法行為においては多くの場合不測の事故によって損害が発生するので、証拠方法が多岐にわたるのに事故時の証拠収集が困難である例が少なくない。また、取引の事例と比べれば損害賠償請求権発生後も積極的に証拠が保全されることが少ない。被害者と加害者を比較した場合、特に加害者は加害について意識せずに免責のための証拠を保存しないことも少なくない。そこで、民法は、被害者側が損害及び加害者を認識していることという条件を設定して被害者の利益を配慮した上で、加害者の立証上の困難を救済するために、不法行為に関して特別に前記の規定を設けたと考えるべきである。

ところで、原告は、昭和四九年一月一七日当時、既に自分がスモンに罹患していることは承知していたが、加害者が誰かは知らなかったと主張する。しかし、証人権平達二郎の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、右の時点で既にスモンにかかる健康被害について訴訟を提起する目的で、弁護士に依頼をしており、「病状報告」なる書面は訴訟に必要であるから医師に書いてもらうよう担当の弁護士に言われて権平医師に書いてもらったものであり、原告が服用していた薬の名前も強力メキサホルムと特定されていることからすれば、昭和四九年一月一七日ころ原告に加害者に対する損害賠償請求が事実上可能な程度に損害及び加害者を知っていたことは否定できないところである。

しかし、本件のような薬害訴訟においては、医薬品と健康被害との間の因果関係を基礎づける基礎資料は原告の手には全く存在せず、被告会社らの側にそもそも偏在しており、製薬会社が医薬品の安全性に関して高度の注意義務を負っていることからすれば、医薬品の副作用に関する資料等は当然に保存しておかなければならない性質のものであって、証拠資料の性格からして年月の経過により証拠が散逸する危険は殆ど考えられず、被告会社らが時間の経過により訴訟上の防御に困難を来したというような事情は認められないこと、スモン事件については、ウイルス説が唱えられたりして、スモン患者は偏見、差別にさらされていたものであり、訴えを提起するのも容易ではなかったと認められること、スモン事件は多数の原告が訴訟を提起したものであって、本件も新潟での第一次の集団訴訟として提起されたものであり、弁論の全趣旨からして、原告と同時期に訴えを提起したスモン患者の中には時効が問題となるケースも当然にあったはずであるのに、それらの者については和解により被害の救済をみているが、他方、一人和解を拒絶した原告についてのみ消滅時効を認め、損害賠償を否定するのは他の原告と比べて著しく不平等であること、また、訴えの提起より一〇数年が経過し、弁論終結の間近かになって消滅時効の主張をするのは、一〇数年にわたって訴訟活動を続けてきた原告を徒に苦しめるものであって、相当とは思われないこと等に鑑みれば、被告会社らが本件において消滅時効を援用することは権利濫用というべきであり、これを採用することはできない。

第八章結論

よって、原告の被告らに対する請求は、被告ら各自に二九〇〇万円及びこれに対する平成五年一〇月一五日以降支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、仮執行宣言の申立ては相当であるが、その免脱宣言の申立ては不相当と認め、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官太田幸夫 裁判官戸田彰子 裁判官鈴木桂子は転補のため、署名押印できない。裁判長裁判官太田幸夫)

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